仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2007年12月06日

面接

実は、来年職場を変わろうと活動中。
2ヶ月くらい前に人材バンクに登録。情報をいただきながら、転職先を探している。

今日、何年ぶりになるだろう「面接」をセッティングしていただいたので、午後から出かけた。

和歌山から電車で40分、最寄りの駅から徒歩15分の大阪府内の病院だった。
かつては回復リハ専門の病院だったみたいだが、資本が代わって急性期とホスピスをメインに成長し始めた施設らしい。

駅からはちょっと遠い。
もちろん、自宅からは現在の職場に比べるとかなり遠い。
ただ、看護部長がとてもパワフルな方だった。
あんなこともこんなこともしていきたいのよ~!!!と。
もちろん、過去に実績のある方なのでその困難さも周知の上のようだった。

話していて、ワクワクするものを感じた。
楽しそうだな。

でも、看護部長は何度も念を押した。
「私が来たときには、レベルアップをどうしたらできるかわからないほどモチベーションが低かった。
やっと普通の病院さんに追いついたくらいかもしれない。あなたが来て、”こんなところなら、無理して来るんじゃなかった”と思ったりはしないか心配する。
よく、考えてから決めてね。選択肢のひとつとしてここを考えてくれればいい。」

珍しい部長さんだ。
自分の病院を自慢もするが、欠点もいい晒す。
プラス条件ばかりいいたてて入ってからがっかりすることは多いが。。。
これはどう受け取ったらいいものか。

前の病院を辞めたとき、今度は命の最終章に寄り添う仕事がしたいと思った。

救急や手術室や急性期病棟で、消えそうな命がまた戻ってくる感動のなかに長くいた。
患者さんの記憶に残らない仕事ではあったが、その陰の功労者であってもそれがうれしかった。
楽しかった。
そんななかで、両親が相次いで悪性腫瘍で終末期へと向かっていくのを娘として見つめた。

冷静であろうとしすぎて、なくなったあとに精神的に苦しんだ。葛藤した。涙が出ない悲しみを経験した。
ここから両親が学べといってくれたことはなんだったのか。。。
おいていかれた宿題の答えが見つからずに7年もたってしまった。

ここなら見つかるかな。。。とちょっと思った。

うちのカウンセラー、愛犬リリィに聞いてみた。
「どう思う?」

じ~と私を見つめてから、ごろんと横になった。

「お母さんが、いいと思ったら、きっといいんだよ」

そういった気がした。
結論はもう少し時間をもらおう。

それにしても、緊張しすぎて腰と肩が痛いンですけど。。。



  


Posted by リリィ at 22:13Comments(0)