仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2008年02月06日

和歌山城近くの公園にて



愛犬の午後の散歩のとき、見つけました。

春の足音、聞こえますか?
終末はまた寒波がやってくるそうです。
がんばれ、梅!!!

  


Posted by リリィ at 23:41Comments(3)

2008年02月06日

私が、ひよこだった頃

。。。といっても、妄想ではない。

看護師のひよこだった頃の話である。

一年目、配属されたのは総合病院の中央手術室。そう、「オペ室」である。

たぶん、私が優秀だったからではなく、「誰も希望しなかったから、これといって希望を出さなかったこの子」という選定方法だったに違いない。

毎日が緊張と、どうしてよいのか分からない日々。
なにをどうして、どう動いたらいいのか、毎日、毎日、先輩がいうことやることを「幼稚園児のように」まねていた気がする。
山のような質問責めにあい、それがちっとも分からずに叱られて、勉強しろといわれても家に帰ると疲れで泥のように寝てしまう。
なにをどうしたら先輩達のように生き生き動くことができるのか。。。

病棟のみんなは良いな。
患者さんと笑ったりできて。。。

あこがれのナースキャップを身につけることもなく、スタッフだけの濃い関係性の中で暗~く黙り込んでしまう。

さして、朗らかでもなく、かわいげもなく、ただ目が泳いでいるだけの新人を、先輩達はどう見ていたのだろう。
人間緊張状態が続くと、めまいや吐き気にみまわれ、落ち着いていればできることさえ満足にできなくなり、身体はなんだか硬直して、動きがヘンになる。

就職して2ヶ月ほど経ったある日、その日の最後の患者さんを病棟に送り出して拭き掃除をしていると、
麻酔科の研修医のK先生が話しかけてきた。

「どう、仕事慣れてきた?」

「いいえ、叱られてばかりで。。。」

「そうだよな、新人の頃はみんなそうだよ。
でも、看護婦さんは、一年目から機械出し(直接介助のこと)できるじゃないか。すごいよ。
僕なんて、外科にいても2年間第二助手ばっかりだった。」
 
「でも、ちっともできなくて。。。」

「患者さんはね、毎日みんな命がけでここに来るんだよ。
患者さんからみたら、このユニホームだけで新人もベテランもない、みんな医者で看護婦さんだ。
こんな情けない研修医の僕でも、先生っていってくれる。
そして、命を預けてくれるんだよ。大事な命をさ。
だから、その命がけに答えなくちゃって思うんだ。

僕らも、命がけには命がけで答えようよ。
頑張ろう。なっ。。。。」

。。。。。。。。。命がけ。。。。

そうか、手術は一大事だ。
まして、大手術になれば、本当に一大決心でやってくるだろう。

今日がその「命がけ」だった人もいるんだ。

まだ消されずに残された予定表のホワイトボードに
今日手術をおえて、安堵とともに傷の痛みに耐える夜を迎える人たちの名前が並んでいた。

先生の方がずっと経験もあり、私には一人前のドクターにうつっていたのに、
この「ひよこ」に「僕ら」といってくれた。

実習の延長のような気分だった。
毎日、つらくていやだった。
つらくて、やめてしまいたかった。逃げ出したかった。

そうだ、私は、「看護婦」になったのだ。

先生、「僕ら」っていってくれた。。。

「命がけ」そうだ、そうだった。
自分だけでいっぱいいっぱいだったことを恥じて、泣けてきた。

そうだよ。これは実習じゃない。 「仕事」なんだ。
いのち、かけよう。
プロといわれる仕事ができるようになろう。。。。

名探偵コナンみたいな、ちょっと小柄なめがねのK先生はこのすこしあと、腎移植を勉強したいと他の病院へいってしまった。

最後のスタッフとの飲み会で、「僕、今日は一円も出してないから、せめて君の帰りのタクシー代を。。。」といって、
先生がくれた1000円札、使えずにいまでも大切に持っている。

仙台のどこかで、すてきな先生になっておられるだろう。

先生、あのひよこは、めげずに看護師していますよ。
きっと、あなたのお陰で。  


Posted by リリィ at 00:47Comments(2)