仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2008年02月28日

台所の時計



結婚してからずっと、我が家のキッチンには小さな掛け時計がある。

本当は時計のしたに振り子がついていたのだが、震災の時なくしてしまった。
振り子はなくなってもずっとキッチンでコチコチ動いていてくれる。

実はこれ、「元彼」にもらったものなのだ。

ひよこ時代の一年目、同級生の紹介で同い年のTくんと付き合って。。。いたといっていいのかな。
彼は工業大学の4年生。 建築士のたまごだった。

苦しかった看護師一年目の毎日を「週末になったら彼に会える」ことで乗り切ったいたような気がする。
今思えば、就活もあり卒業制作や卒論もある4年生の大変な時期、毎週のようによく付き合ってくれたものだ。

とはいっても、まるで中学生のカップルのように、お茶して一番町をぶらぶらして、動物園に行ったり海に行ったり、たまにお酒を飲んだり。。。(成人してますから。。。)
手をつなぐわけでもなく、肩を寄せ合うわけでなく、まるで同級生のようなつきあいだった。

海に行くとか遠出するときは「私の車」。(中古の軽だけどね)
運転も私。
夕方に、彼の下宿まで送り届けるのは運転手の私。
なんかヘンだけど、彼は車を持ってなかったし学生だったし。。。

彼の卒業が近くなって、一人旅が好きだった彼は卒業式のあと一人で山口県の萩に「卒業旅行」にいくんだといっていたのを最後に連絡が取れなくなってしまった。

友達づたいに東京に就職したと聞き、連絡先を聞いてもらって、私から電話。。。
「急にこっちに来ることになって。。。そんな(連絡を絶つ)つもりじゃなかったんだけど」と、彼。

それから日曜日になると私から電話をして、たわいもない話をした。
それなりに、彼も電話を楽しみにしていてくれたようなのだが。。。
彼からの手紙も電話もなかった。
正直、寂しかった。

今のように携帯があってメールができるのなら違っていたかもしれないが、私は彼の気持ちがはかりかねてしまった。

で、私から、もう電話しないねと告げた。

「え、どうして?」
「Tくんからの電話も手紙ももらえないから。。。」
「。。。。忙しくて。。。そんなつもりじゃなかったんだけど」

数日して、彼から初めて手紙が届いた。

始めたばかりの仕事と慣れない生活で本当に大変だったこと、私への思いやりに欠けていたことなどが綴られていて、
最後に、

「僕がどんなに歳をとっても、君と過ごした頃に流行った歌や出来事を耳にすれば、必ず君を思い出すと思う。」

その手紙に返事を書いて出してから、まったく音信不通だった。
その彼が、私の結婚が決まり、結納が済んで、仙台で過ごす最後のクリスマス、突然電話をくれた。

「仙台に来てるんだ。結婚するんだってね。あえないかな。」

二人であう自信がなかったので看学時代の仲良しのYちゃんも誘って3人で飲みに行った。
わいわいと学生時代のような楽しい時間だった。

この時計はそのときエスパルで「なにかお祝いさせて」という彼に買ってもらったもの。

(独身最後のクリスマスを「元彼」と過ごして、毎日キッチンで見ている時計を買ってもらったなんて、主人にはいってません。)

今も東京で仕事をしているのか、故郷の秋田に帰ったのか、どうしているだろう。
いい人と結婚してきっと優しいお父さんなんだろうな。

私も、当時流行った歌を聴けば彼を思いだし、旅行番組なんかで彼が好きだった旅先が登場すれば彼を思い出す。

彼の本当の気持ちを、そういえばちゃんと確かめたことはなかった。
彼もはっきり言ってもくれなかった。
私も、はっきりしなかった。

あのころ、携帯というツールがあって、メールとうい手段があったら、もっと違っていたかしらと思ったりする。

支えてもらったのに、支えてあげられなかった。
最後の手紙に「僕が子供だったから。。。」と彼はわびてくれたが、子供だったのは私の方だったと思う。

あなたがいてくれたから、あの厳しさに耐えられたのだと、礼も言えずに別れてしまった。
もうきっと会うことはないと思うけど、感謝しています。

Tくん。






  


Posted by リリィ at 23:34Comments(0)

2008年02月27日

寒さに弱い

和歌山の人は寒がりだと思う。

この土地でもう10年看護師をしているけど、患者さん達の寒がり方といったら北海道並みだ。

ここは真冬でも雪は積もらないし、まして気温がマイナスになることはない。
でも、ダウンジャケットは北国仕様のようなものを着てくるし、もちろん毛皮のコートやジャケットも売っている。
唯一、雪国ではないなと思うのは靴の裏の「溝」が雪仕様でないことぐらい。

もちろん、少し山の方に行けば路面の凍結もあるし、高野山などでは東北並みの寒さではある。

しかし。。。

隣町から受診にきたあるおばあちゃんは、「パッチ」(ももひき)を8枚はいてその上にキルティングのズボンをはいてその上に巻きスカートをはいていた。

8枚とはいかなくても、年輩の方はだいたい何枚も下着をはいている。
診察の時、お腹が出てくるまでタケノコの皮をはがすようなのだ。
しかも、靴下も何枚もはいているので、なにか処置をするとかレントゲンを撮るとかッテいうときはたいへんだ。
脱衣籠は衣服で山盛り。。。

何枚も下着をはくとそのゴムの部分も同じ枚数あるわけで、お年寄りのぽこんとした柔らかいお腹はおへそのあたりで「くびられて」しまう。

そして、かゆくなる。かきむしる。傷になる。化膿する。。。。

よくないと思いながらも、
「寒いさけ(さむいから)ね~、ようけ(たくさん)着やな(着ないと)いてられへん(いられない)のよ~」
というおばあちゃん達に、こんなに着込むなともいえない。

でも、せめて、そんなに締め付けるような着込みかたは避けた方がいいんだけど。。。
販売されている下着のほとんどが「薄手」ばかりなのも枚数を着込む一因かもしれない。

どうしてこんなに寒がるのか、私なりに推理してみた。

そうか、「寒い期間が短い」んだ。

ここは寒さに「慣れてしまう」ほど寒い期間がない。
急に気温が下がってそのままずっと「冬」である土地とは違う。

へたすると10月まで半袖はしまえない。
3月を待たずに気温は10度を上回る。
桜は春のお彼岸過ぎには咲くんだもの。。。

だけど、川風、海風が吹くので体感温度は低いのかもしれない。

かくいう私も、冬場に帰省したとき義姉に「寒がりになったんじゃない?」といわれたことがある。

暖かいところに住んでしまうと、「寒さへの抵抗力」が弱くなるのかもしれない。
そういえば、今月の暖房費、ちょっと高くついている。。。かも!!!!!



  


Posted by リリィ at 00:05Comments(2)

2008年02月25日

あと一月

現在の職場に在籍するのがあと一ヶ月。

かなりの仕事を、残る人にしてもらうようになってきた。

あまりちゃんとした知識がない人たちなので、大丈夫かと不安はあるがそれは私が考えることではないので心配しないことに割り切った。

あと一ヶ月に迫ってもなお、妙な質問も多いので院長先生は今後大変だろうなぁ。

ともあれ、人のことより私のこと。

通勤に使うむこう(岸和田)の駅前におく自転車をどうするか。。。
早起きはできるか。。。
愛犬のお散歩は。。。
緊急時は。。。

高校最後の一年をフォローしてやれなくなる娘には申し訳ないなと思いつつ、新しい環境にも期待している。
不定愁訴のような症状もでる今日この頃、
「お母さん、本当に通えるかな。頑張れるかな。。。」と娘にこぼすと、

「できるよ。大丈夫。できるから、そこに行くことになったんだよ。できるよ。」

と娘。

そうだね、不安ばかりいってないで、できると思ってやることね。

うちには優秀なカウンセラーが二人いる。
一人は娘、もう一人は愛犬リリィ。

私にはなかなか悩みをうち明けない彼女ら?だが、私のことはちゃんと知っていてくれる。
娘はぽろっと良いことをいってくれるし、リリィは黙って話を聞いてくれて決して他言しない。

え?主人?
私には彼が一番分かりません。  


Posted by リリィ at 23:20Comments(2)

2008年02月21日

K先生の言葉

ひよこ時代、私に「プロ魂」の種を投げ込んで、
目指す医療のために他の病院に行ってしまったK先生。

彼がいっていた言葉を今でも時々思い出す。

なんでも一生懸命だった先生。
童顔でちょっと小柄な先生は、患者さんからも慕われていた。

言葉かけがやさしく、腰も低かった。
先輩ばかりではなく、一緒になるチームスタッフには新人にでも「よろしくお願いします」と敬語を使ってくれた。

どうしてそんなに丁寧に接してくれるのか訪ねたことがある。

「仕事は自分一人でできることじゃないよ。医療は特にね。
特に医者は一人ではなにもできない。
みんながいてくれて、その力の結集が今日の治療になって行くんだ。
だから、君がいてくれないと、困るんだよ、このチームは。」

「患者さんもね、孫や子供のような若造の僕に敬語を使ってくれる。
だけどそれは僕自身を尊敬してのことじゃない。
医者っていう、僕が持っているであろう資格とか知識とか技術に対して
いってくれている敬語だと思う。
看護婦さんもそうだろう。

だから、その尊敬に値する医療者でなくてはならないと思っている。
だから、研鑽を忘れてはいけないんだ」



いま、どんな先生になっておられるだろう。

あのひよこが20年を経てこの言葉を支えに仕事をしているなんて考えてもいないだろう。

学ぶことは限りない。
経験を重ねる事に先生の言葉はしみてくる。



  


Posted by リリィ at 17:42Comments(0)

2008年02月18日

お雛様



やっと飾った。 お雛様。

これは娘のではなくて、私の。

前にも書きましたが、幼くして亡くなった姉の代わりに生を受けた私。

今度こそ、健康に、元気に育ちますようにと、
母方の叔母や両親が少しずつ買ったくれたものだという。

お内裏様は両親、三人官女は母の姉にあたる伯母、五人囃子は母の妹の叔母。。。

初めから、5段飾りのみだった。
雛壇は三人官女を買ってくれた伯母の連れ合い、私が3才の時に亡くなった伯父が廃材で上手に作ってくれた。
長年飾っているうちにねじがゆるみグラグラするようになって板も割れてしまい、結婚してから両親がスチールのものに買い換えてくれた。
6段以下のお飾りがないので、うちにあった小さなお人形をいつも一緒に飾っていて、下段のお人形はお雛様とは関係ないのだがいつもこの子達込みで飾って、仕舞うことにしている。

小さい頃、私はお雛様がとても怖かった。
夜、豆電球に照らされるお雛様が、いつも私をみているようで、動いているようで、お雛様が飾ってある数週間は夜の水分を控えて夜中におしっこに行かないように注意した。

だって、振り返ったらお雛様がついてきているようで。。。

そんな頃、アニメ「ひみつのあっこちゃん」で、
飾ってもらえないお雛様が鏡の精に箱から出してもらえない悲しみを訴えるというお話があった。

「私たち、一年に一度しか箱から出してもらえないのに、最近はその一度のお祭りにも飾ってもらえない。
暗い箱の中で、悲しい、悲しい。。。。」

それをみてから、どんなに仕事が忙しくても、たとえ三日間であっても、箱からだし、「今年もあえたね」と声をかけ、
今年も健康でいつものようにお飾りができることを感謝して飾ることにしている。

仕舞うときも、「来年も健康でまたあえますように。またあいましょうね。」と一体一体声をかけ紙を巻いて箱に収める。

こんなにめんどくさい作業ができるのは健康だからだし、生活に余裕があるからだしとおもって。

「今度こそ、健康で大きくなって。。。」

私をはぐくんでくれたまわりの人々の願いをもって、私の元にきた人形達。
色あせた着物が年月を感じてしまうが、小さい頃から見慣れた懐かしいお顔でいてくれる。

和歌山には、「加太淡嶋神社」という神様があって、毎年三月三日に白木の船に奉納された人形をのせて海に流す「ひな流し」の行事がある。

境内にはおびだたしい人形が納められ、紅い社殿と相まって不気味な厳粛さを持っている。

私が歳をとって、お雛様を自力で飾れなくなったら、ここへ納めてもらおうと思っている。
ここなら、寂しくないかもしれないから。

みんなの思いを、ゴミにはできないもの。  


Posted by リリィ at 00:01Comments(2)

2008年02月17日

雪の中、岸和田まで

春から就職する病院の「院内看護研究発表会」があるというのでいってみた。

駅から歩いて15分、時間ぴったりに到着。
看護部長さんを呼んでもらって一緒に会場の会議室へ。

プロジェクターを備えて、かなり本格的~と思って2群・8席の発表を聞いたが、部長が以前いっていたことの意味がようやく分かった。

。。。う~ん、文章はまずまず仕上がっているけど、取り組みが。。。浅いかなぁ。。。
何とか、形にした的なものではあったが、完成度が低くてもそれなりにモチベーションは低くはないのかもしれない。

勉強させてもらうつもりでいたけど、そうでもないかもなぁとやや疑問符がついてしまった感がある。
でもま、今までそんなことみじんもしてこないところにいたのだから、できるだけでも良しとしようか。。。。。

感想をちょっと聞かれたが、とりあえずほめてきた。
つっこみどころ満載だったけど、しばらくはおとなしくしておこうッと。

とりあえず、恥をかかないように看護学をもう一度読み直して勉強しておかなくちゃ。

今まで、教育学と心理学ばかりの中にいたから、ちょっと浦島太郎した今日でした。  


Posted by リリィ at 00:53Comments(0)

2008年02月09日

ひよこの思い出 パートⅡ

出来損ないの新米ナースを勇気づけてくれた先生がもう一人。

内科の研修医、E先生。
内科なので、オペ室とはあまり関わらないように思うかもしれませんけど、検査で週一回はお目にかかっていました。
私は内科の検査担当になっていたので、朝早くからの検査によくついていました。

このころはひよこでも、ちょっとは生意気になってきた頃で、少しは動きがとれるようになってきた2年目の5月、
外来とのローテートで「救急当直」に入ることになりました。

勤務していた病院は、第二次救急を取っていたのでなんでも来いの第三次に比べれば、夜間の対応も少なく運が良ければ朝までぐっすり眠れる。。。という人もいましたが。

その日は、2回目、連休の日直をへてたった一人で入った初めての当直でした。
当直医はE先生。
内科医局にいるよと。。。

ドキドキしながら夜間を迎え、電話が鳴りませんようにと願いながら当直室で待機していると、電話が。。。

「はぃ。。。当直ですぅ。。」

「救急隊から急患受け入れの要請です、聞いてください」

事務当直からだった。。。
あぁぁぁぁ。。。なんだろう。。。

救急隊につないでもらうと、自宅でみぞおちの痛みを訴えて搬送を要請された。貴院への搬送を希望されているんですが。。。と。
住所を聞くと病院から30分はかかるところ。。。
途中には市立病院もある。

「もし、心筋梗塞などの心疾患なら、ここまで搬送されるより市立病院の方が近くて早い処置が受けられませんか?」

「ご家族がそちらを希望されていまして。。。」

えぇぇぇ。。。。。。

「当直医に報告します。お待ちください」

先生は、

「市立病院の方がいいかもしれないが。。。家族の希望なら仕方ない。受け入れましょう。」

返答してから、受け入れ準備に入った。

えっと。。。心臓かもしれないし。。。胃の穿孔かも。。。。。カウンターショックはいるかな。。。。カメラ室は。。。

経験の浅い私はおろおろするばかり。。。

救急車が到着する前から先生は救急薬品を確認にやってきた。

「薬局を開けて、これだけ薬品を持ってきておいて。」とメモをくれた。

「先生、私、急変にもついたことなくて。。。よろしくお願いします。。」
ぱたぱたと薬局へ走る。薬品をチョイスしている最中、サイレンの音が近づいてきた。。

あぁぁぁ。。。きたぁ。。。

サイレンが止まって救急車のドアが開く。
ストレッチャーの患者さんは心臓マッサージをされていた。

。。。心肺停止だぁ。。。

マッサージをしながら急患室へ。
蘇生処置が始まる。

次々と指示を出す先生に答えるのが精一杯。
つぎはなにをして良いのか、」先読みができない。

心拍が回復する兆しがないので先生は「ボスミンを局注するから、カテラン針つけて、吸って!」
(胸に針を刺して心臓に直接注射するんです)

「はい!」
っていって、アンプルを切って薬液を吸おうとするんだけど、針先がアンプルに入らない。
。。。手が震えて。。。

それをみていた先生は、

「いいかい、ここにはナースは君しかいないんだ、落ち着け、落ち着いて!」

泣きそうになりながら指示されるままに動いた。

怒濤の1時間が過ぎても、患者さんは一命を取りとめられず、死亡確認となった。

片づけをおえて、報告書を書いている先生に役に立てなかったことをわびにいった。

「お役に立てなくて。。。」

先生は手をとめて

「とんでもない。君がいたからできたことだよ。僕一人ではなにもできなかった。
とても頼りになったよ。 ありがとう。
初めてのことで疲れただろう。お疲れさま。 
急患、朝まで来ないと良いね。
電気消していくから、先に休んで。 僕は病棟に用があるし。」

もっとしっかりしなさいとか、ダメだとか、毎日職場で言われていた言葉とはまったく違う感謝の言葉だった。
この情けない私に。。。
先生にとって、やりやすいパートナーではなかったはず。どっちかといえば、頼りない新米ナース。
なのに。。。ありがとうって。

うれしかったのと、緊張から開放されたことと、情けないのとで、ぽろぽろと涙が出た。
本当に、心から頼りにされるナースになりたい。。。

22才の初夏のことでした。

このときと酷似した情景が、4年目の退職直前、最後の当直の日、昭和最後の日に訪れました。
あの日、救急車を待ちながら、この日をオーバーラップしていました。

たくさんの人にたくさんの学びをいただきながらここまできたのだと、今でも思っています。

E先生、お元気かなぁ。




  


Posted by リリィ at 01:14Comments(0)

2008年02月06日

和歌山城近くの公園にて



愛犬の午後の散歩のとき、見つけました。

春の足音、聞こえますか?
終末はまた寒波がやってくるそうです。
がんばれ、梅!!!

  


Posted by リリィ at 23:41Comments(3)

2008年02月06日

私が、ひよこだった頃

。。。といっても、妄想ではない。

看護師のひよこだった頃の話である。

一年目、配属されたのは総合病院の中央手術室。そう、「オペ室」である。

たぶん、私が優秀だったからではなく、「誰も希望しなかったから、これといって希望を出さなかったこの子」という選定方法だったに違いない。

毎日が緊張と、どうしてよいのか分からない日々。
なにをどうして、どう動いたらいいのか、毎日、毎日、先輩がいうことやることを「幼稚園児のように」まねていた気がする。
山のような質問責めにあい、それがちっとも分からずに叱られて、勉強しろといわれても家に帰ると疲れで泥のように寝てしまう。
なにをどうしたら先輩達のように生き生き動くことができるのか。。。

病棟のみんなは良いな。
患者さんと笑ったりできて。。。

あこがれのナースキャップを身につけることもなく、スタッフだけの濃い関係性の中で暗~く黙り込んでしまう。

さして、朗らかでもなく、かわいげもなく、ただ目が泳いでいるだけの新人を、先輩達はどう見ていたのだろう。
人間緊張状態が続くと、めまいや吐き気にみまわれ、落ち着いていればできることさえ満足にできなくなり、身体はなんだか硬直して、動きがヘンになる。

就職して2ヶ月ほど経ったある日、その日の最後の患者さんを病棟に送り出して拭き掃除をしていると、
麻酔科の研修医のK先生が話しかけてきた。

「どう、仕事慣れてきた?」

「いいえ、叱られてばかりで。。。」

「そうだよな、新人の頃はみんなそうだよ。
でも、看護婦さんは、一年目から機械出し(直接介助のこと)できるじゃないか。すごいよ。
僕なんて、外科にいても2年間第二助手ばっかりだった。」
 
「でも、ちっともできなくて。。。」

「患者さんはね、毎日みんな命がけでここに来るんだよ。
患者さんからみたら、このユニホームだけで新人もベテランもない、みんな医者で看護婦さんだ。
こんな情けない研修医の僕でも、先生っていってくれる。
そして、命を預けてくれるんだよ。大事な命をさ。
だから、その命がけに答えなくちゃって思うんだ。

僕らも、命がけには命がけで答えようよ。
頑張ろう。なっ。。。。」

。。。。。。。。。命がけ。。。。

そうか、手術は一大事だ。
まして、大手術になれば、本当に一大決心でやってくるだろう。

今日がその「命がけ」だった人もいるんだ。

まだ消されずに残された予定表のホワイトボードに
今日手術をおえて、安堵とともに傷の痛みに耐える夜を迎える人たちの名前が並んでいた。

先生の方がずっと経験もあり、私には一人前のドクターにうつっていたのに、
この「ひよこ」に「僕ら」といってくれた。

実習の延長のような気分だった。
毎日、つらくていやだった。
つらくて、やめてしまいたかった。逃げ出したかった。

そうだ、私は、「看護婦」になったのだ。

先生、「僕ら」っていってくれた。。。

「命がけ」そうだ、そうだった。
自分だけでいっぱいいっぱいだったことを恥じて、泣けてきた。

そうだよ。これは実習じゃない。 「仕事」なんだ。
いのち、かけよう。
プロといわれる仕事ができるようになろう。。。。

名探偵コナンみたいな、ちょっと小柄なめがねのK先生はこのすこしあと、腎移植を勉強したいと他の病院へいってしまった。

最後のスタッフとの飲み会で、「僕、今日は一円も出してないから、せめて君の帰りのタクシー代を。。。」といって、
先生がくれた1000円札、使えずにいまでも大切に持っている。

仙台のどこかで、すてきな先生になっておられるだろう。

先生、あのひよこは、めげずに看護師していますよ。
きっと、あなたのお陰で。  


Posted by リリィ at 00:47Comments(2)

2008年02月03日

でね、

気を取り直して。。。

先月、和歌山市内唯一の百貨店、「近鉄百貨店」で化粧品を買ったときのこと。。。

なじみの美容部員さんが、「アンケートにお答えいただくと抽選でお菓子とか当たりますので、ぜひ。。。」というので
簡単なアンケートを書いておいてきた。

で、先月末、試験でぐったりして帰るバスの中、娘から「近鉄から、お菓子当たりましたって電話きたよ」とメール。

おぉぉおお!
試験は大してうまくいかなかったけど、運はいいんだ今年は!やっぱりおみくじ大吉だっただけのことはある!と
翌日買い物がてら取りに行った。

「このたびは、ご当選おめでとうございます。近鉄百貨店からささやかですがプレゼントです~」と手渡されたのは。。。


え?これ?

ちっちゃい。。。

大きい詰め合わせだなんて、誰もいってないし聞いてもいないしアンケートごときでそんなにたいそうな商品が用意されているはずもないのだが、

「ご当選」とか、「おめでとうございます」とかいわれるほどのものでも。。。。

でも、くれるんだからもらって帰ったが、
娘も同じ反応。。。。。

「えっ~~~~!これ?」

だって、京都のお菓子やで。一様、有名店やで。
ただなんやから、ありがたくいただかんかい。



まあ、おいしかったけど。

期待値が大きいと、こんなにもありがたくないものなのね。  


Posted by リリィ at 23:59Comments(0)

2008年02月03日

試験のことは聞かないで

試験、散々でした。

この間の計量心理学よりは分かりましたが、考える時間配分をミスって「終了5分前」のコールにあせりました。

。。。。。。。。。。。。。きっとダメだ。。。あぁぁぁぁ。

いいもん。
つぎいってみよう!!!

はぁ。

  


Posted by リリィ at 23:46Comments(0)

2008年02月03日

2月になっちゃった

年明けからの体調不良はまだ後を引いていますが、
咳で骨折していた肋骨も何とか修復?されてきたようです。
内科の先生に「結核だったらどうするんだ!」と叱られました。
もしそうだったら、「菌」を病院でばらまくところですからね。。。

しかし~。。。
熱もない、仕事にはいける、でもだるくてだるくて。。。
先日からちょっとはいいかなっと、ドリンク剤を飲んでみましたがいまいち。。。

友人からは「更年期よ。」とせせら笑われる。。。
まだそんな年ではないと意気込んではいるし、更年期かなと思う気持ちが更年期症状をもたらすこともあるので
考えないもんね。

一昨日、春からの勤務先に再度行ってきたんですけど、
看護部長、合うなり私に

「あれ?疲れてる?大丈夫?」

。。。ん?そんなにグロッキーな顔していたんだろうか。。。
張り切っていってきたつもりだったんだけど。

たしかに、数日まえに大学の試験、難しくて散々だった。
当日も、体調悪かったけど。

顔に出るのはよくないな。

4月からは、今までより1時間以上早く家を出ることになるし、慣れないシステムに乗れるようになるまでしんどいなとか
どうやって通うのが良いかとか。。。
考えたら、転職はけっこうめんどくさい。
でも、まず3ヶ月、そして半年頑張ればいつだって何とかなってきた。
自分で選んだんだから何とかしようと。。。思いつつ、なんだか緊張してきた2月の始まりです。
今日は、午後からもうひとつ、単位認定試験受けてきます。
きっとダメ。。。だろうなぁ。

「統計学」なんてきらいだ。  


Posted by リリィ at 00:16Comments(0)