仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2008年03月18日

初恋

初恋って、いくつになっても思い出すとキュンとするもので。

仙台に帰省するたび、そこを通ると当時の光景を鮮明に思い出したりする。

彼は、中学の同級生、確か。。。バレー部だったと思う。
好きだと伝えることもできず、友人にも誰にも言わずにただ彼が教室にいるだけでそれでよかった。
声が聞こえるだけでよかった。
だって、彼は私の仲良しの友達の彼だったから。

卒業後、決してもう会うことはないと思っていた彼に、思わぬところで再会した。
いや、再会したというのは正しくない。
私が一方的に見かけただけである。

学区が同じだから、高校の方向が似ていれば通うバス路線も同じになる。
はじめ、バスで仙台駅まで一度出て乗り変えていた私だが、ある日途中のバス停で一台前のバスから彼が降りて、しばらく歩いたところのバス停から乗り換えていることに気がついた。

そのバス停は、私の高校に向かうバスも停車する。
仙台駅まで行かなくても乗り換えになるので時間の短縮にもなる。

ある朝、そのバス停で私も降り、乗り換えのバス停まで向かうことにした。

前のバスから彼が降りる。
歩き出したその少し後ろで、私もバスを降りる。

今時の子なら、「おはよう!」と声をかけるところだろうが、そんなことはできなかった。
制服を着ている自分を気づかれないように、少し離れてずっと同じ距離をとって歩く。
彼が歩いた歩道タイルの上を、なぞるように歩く。
毎朝のしあわせな10分間。

振り向いたら、きっと元同級生と分かるだろう。
でも、振り向かないで、振り向かないで、あそこの高校に行ったのかと思われたくないから。
後を付けているように(そうなんだけど)思われたくないから。

彼の、後ろ姿が毎朝みれる。それだけでしあわせだった。

バス停に着けば、彼の高校に向かうバスの方が先につく。
友達と談笑しながら乗り込む彼に、心の中で「いってらっしゃい」。。。

たぶん、気づかれずに3年間過ごしたと思っている。
私が好きだったこと、彼に知られなくてもよかった。
好きだな~、かっこいいな~、すてきだな~。。。そう思ってみているだけでよかった。
自分に自信がなかったし、思いを伝えることで嫌われることが怖かった。

そんな思い出を娘に話したら、

「気持ち悪っ。おはよう!!!ッテ声かければいいじゃん。おはよう言ったからって、好きだなんて思わないよ~」

まったく。。。
今時の子は乙女の純情がわからないわねっ。

どうしているかな~。
どうか、メタボであぶらぎったりしていませんように。

さわやかキャラでいてくれることを祈ります。


  


Posted by リリィ at 22:08Comments(4)

2008年03月18日

卒業シーズン

春めいてきて、(って、仙台はまだ寒いかな)
春にちなんだ歌がよく流れていますね、コマーシャルとか街のなかとか。。。

今まで一番しあわせだった卒業はいつだったかなと考えてみました。

そう、高校の卒業だった気がします。

前にも書きましたが、市内でも偏差値が低い高校に二次募集で入った私。

制服を着るのもそれを着て外を歩くのさえいやだった入学当時。
かつての親友はみんな希望校に合格し、私服の花の高校生になっているというのに、
痴漢に「どうせ、○○高のくせに」とののしられ、一番町ではこともあろうに売春のバイトとおぼしき勧誘に会ったり、
勉強は中学並み、夏休みの宿題はアルファベット。。。

こんなの、高校じゃない、と自分の力足らずで希望校に合格できなかったことをいつまでも嘆いて泣いてばかりいた日々。
それでも、一年だぶったところで合格できる確証もないから、と親に説得されて通い続けた。

家から一時間、バス通学。
家から歩いて10分のところには行きたかった高校が見えた。

救われたのは、一年生の担任の先生。
美術担当のまだ若い女の先生。
部活も辞めて、ただ黙り込んでいく私に、「ねぇ、美術部に入らない?陶芸班を作りたいのよ。」

当時も今も、「母校」は美術で「うっている」
美術学科を上の大学に持っていたので、環境はとてもよかった。

もちろん絵なんて。。。と思っていた私に陶芸を勧めてくれた。

陶芸室は校舎から離れたプレハブで、夏は暑く冬は手水に氷がはるほど寒かった。
仙台の土で作る「堤焼き」の粘土で、ろくろを覚えた。
粘りがあり、砂のたくさん混ざる重い粘土は、電動ろくろでせり上げるのには難しかった。

ただ、その難しさが私を惹きつけた。
陶芸班は私ともう一人の「あい子」。
たった二人でただ黙々とろくろを回し、粘土と格闘した。

ただ、ろくろの中心に粘土を据え、せり上げて形成していくだたそれだけといえばそれだけなのだが、集中しないとそれは崩れてしまう。  それも一瞬に。
ろくろ形成は、「禅」に似ていた。

土も、講師の先生と粗掘りのただの土から熟成した粘土になるまで、ゴミを取り、ねって、寝かせてまた練って。。。
その「ただの土」が、やがて火に出会って作品になっていく工程は、子供を育てるような工程だった。

ただの土だった作品が、本焼きの窯から出される時の感動は今でも忘れられない。
釉薬が外気に触れてひび割れが入る音がする。
それは、ガラスの風鈴が何十個も一斉に鳴り響くかのような、繊細で、美しい作品達の産声だった。
そしてそれは、触れると熱く、暖かいのだ。

なんだか、小綺麗な絵画班とはちがい、泥臭く汚い格好でウロウロしていたので、ついに後輩はできなかったが、あい子と二人、交互に展覧会で賞を取った。
あい子の最後のでっかい作品はきっとまだ母校に残っているはずだ。

その感動が、自信が、私に前を向かせた。
学校がどうのと言う人には言わせておけばいい。
この学校にいたって、他の高校とちゃんと渡り合える。

進学してみせる。

で、台原の看護専門学校に進学したわけで。合格したときは校長室に呼ばれた。
先生方から、直々にお祝いを言っていただいた。

「本校、始まって以来(高等看護の合格)ですね~」って。
ちょっとびっくりしたけどね。

卒業の日、入学当時いやだった制服がやけにいとおしく、学校も離れがたかった。

挫折して、ここに来てよかったな。
18にして、「人生に無駄なことなどないな。。。」と思ったものでした。


あのまま、挫折をしらぬまま希望校に行っていたら、この仕事には就いていないと思う。
もしかして、進学もしなかったかも。
そのあとの諸々のことも、越えてこれなかったかも。

人生におきることはすべて私のため。
人生で出会う人はすべて有能な教師。

春からの新しい出会いにも期待満載の私です。

  


Posted by リリィ at 00:50Comments(2)