仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2011年05月24日

同窓生

友達に誘われてmixiに登録。

同級生を探すべく、卒業した学校を登録してた。

中学の同期生から一人メールがあった以降、見つからずにいた。

先日、足跡にあった一人が卒業した専門学校の在学生であることが判明。

今年入学の一年生。

我が子より二つ年下の子にメッセージを送ってみた。
短いけど、返してくれた。

彼女が暮らす学生寮は、私が二年生の時に完成した寮。

あれから四半世紀がたっている。

学校のホームページをみれば、寮の部屋や作法室の写真がのっていて懐かしい。

私たちの頃は全寮制で、一年生の時には創立のころからの旧寮に入った。

古くて暗い廊下と二段ベッドと座卓の机だけがプライベート空間だった。

先輩はよくしてくれたが、なんだかいつも緊張して暮らしていたのを思い出す。

集団生活の規制の中で暮らすのは、わがままな私にはつらかった。


学校でも日常生活でも同じ学生同士がいつも顔を会わせる。


食事も、お風呂も、洗濯も、トイレも。

また、『舎監さん』と呼ばれる寮母さんがまた怖かった。

廊下を歩く音、トイレの使い方、トイレットペーパーの出し方まで

事細かく『しつけ』られた。

あのころは『うるさいおばさん』くらいにしか思わなかったが、

いま思えばみんなよい習慣で、他への気遣いがあふれた『しつけ』だった。


お菓子につられて茶道部に入って

男の子と知り合いたくてダンス部にも入った。

秋になると各大学や学生寮主催のダンスパーティーが開かれた。


回るとふんわり広がるスカートを選んで、慣れないパンプスをはいて出かけた。

男性が『踊ってくれますか?』と誘ってくれるのを壁にはりついて待っているのだが、

そこは若いからたいていあぶれることはなく、曲が変わる度に誘ってもらえた。

二年生のころからよく誘ってくれる医学部の人がいて
ダンスパーティー以外でもスケートや学祭に誘ってくれたけど

。。。それ止まりだったなぁ。。。

眼科医になると言っていた彼は、まだ仙台でドクターをしているのかしら。


ディスコ全盛期のころだったけど、ソーシャルダンスのほうが大人な感じで好きだった。

でも、男の子たちって、どうやってステップ覚えたのかしら。

私たちは男性役の先輩に組んでもらって覚えたけど、
男の子たちも?

『shall we dance』を観たとき、なんだかそんなこと思っておかしかった。


学生時代はつい昨日のことみたいなのに、

卒業してもう26年?か。。。


早いもんです。


今年入学の彼女は何回生になるんだろ。。。

計算しないでおこーっと。

福島の私の母のふるさとから仙台にきた彼女。

震災があったり、原発事故があったりしている今年ですが

どうか実りある三年間を過ごしてください。

そして、ぜひ、永くこの仕事を愛してください。


がんばって。
  


Posted by リリィ at 12:10Comments(0)