仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2013年07月19日

仲間はずれ

また、思春期の女の子が自殺を図るというニュースが流れた。

原因と思われることは修学旅行時のグループ仲間からの『仲間はずれ』らしい。


女の子は小学校の高学年になると、なんだかグループを作りたがる。

トイレに行くのも、授業で班をつくるのも、仲良しグループが基本になる。
グループに『所属』することがまわりに存在を認めてもらう確かな方法であるかのように。

外れたものはかなりの疎外感にたえなければならない。

かくいう私も、そのはみ出しものだった。

嫌われていた、とは思っていないが、
ただトイレくらい好きなときにいきたかったし、
暗黙の『グループのルール』に従っている級友がふしぎでならなかった。

席替えで、クラスの中でちょっと嫌がられていたクラスメートの隣になり、
会話を交わしたり消しゴムを貸したりしたことでますます疎外感が強くなったことがあった。

だって、隣の子なんだもん、なにがいけないの?

授業で、3人で組んで〜、とか、それこそ修学旅行のグループとか、いつも私はポツンと残された。

担任の先生が『○○も入れてあげて』というまで、私をチョイスするグループはなく、

入れられたグループはまるで貧乏クジでも引いたかのように私をあつかった。


それでもめげなかったのは、学校での出来事を飽きずに聞いてくれた母がいて、
『あんたはなにも悪くないから堂々としてなさい』と常にいってくれたこと、

クラスの中にもグループ化に疑問をもつ女の子たちがでてきたことだっだ。


たいてい、グループの中核は女王さまになりたい女の子で、たいがい『支配』したがった。

誰かに合わせるのは、めんどくさいし、したがってもなんらメリットはないと気がつきだしたからかもしれない。

女子のグループは卒業まで存続したが、強制力は薄らいでいったと記憶している。



今思えばいじめられっ子だったのかもしれないが、母の、『堂々としてなさい』にたすけられ、

自分を常に肯定する教育をうけたことが、いじめに気がつかない?私を作ったのかもしれない。

烏合の衆が苦手。は、いまもかわらない。だからけっこうしんどいこともあるけれど、私の生き方がものすごく間違っているとは思わない。

ただの頑固者かもしれないが。



いま、集団のなかで疎外されている子供たち、

お願いだから死なないで。

世界は学校のなかだけじゃない。

あなたはあなただからいいんだよ。

我慢しないで声をあげて。

信じられる大人もきっといるから。







  


Posted by リリィ at 20:40Comments(0)