仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2017年04月06日

教員、終了。

先月末で任期満了で教員生活を終えました。

ほんとうにたいへんな一年でした。

教員としては新人でありながら新人とは扱われず、いきなりの実習指導、
しかも初めての病院に初めての環境に、学生2グループ7人を、彼らが初めての領域実習に、新人の私がたった一人で!が、昨年の今頃でした。

ま、外国に行くわけじゃなし…。と、
挑んでみましたが、
なかなか『やつら』も手強く、臨床での指導と教員としての指導はなんて違うんだと思いながら、
1クール、2クールと実習は続き、続きながら授業準備に追われ、学内業務に追われの繰り返し。

ほんとうにたいへんでしたが、
幸いにも学生に好かれ、学生からの授業評価も高く、実習担当になるとみんな喜んでくれました。

教員間の付き合いがまためんどうなこともあり、ストレスマックスで軽いウツ状態になり不眠が続いたり、身体的疲労もつらかったですが
無事に勤められたことをとりあえず感謝しました。

50を過ぎてここ2年ほど、職場を変え、職種までかえてチャレンジしていましたので、ほんとに疲れました。
しかし、この無謀な困難は、私には必要な2年間だったと思っています。

2ヶ月弱の休憩をいただいたあと、再び臨床に戻ることにしました。

明日の予定を考えずに眠れる毎日に、体調も精神も取り戻してきました。

せっかくの長期休暇。
桜を愛で、読みたかった本を読み、休学していた大学の学習を再開し、

振り回されるのではなく、自分を取り戻して、また仕事に向き合いたいと思います。

世間とは少しだけ遅れて私も再出発します。  


Posted by リリィ at 23:22Comments(1)

2016年12月31日

大晦日ですな。

だいぶ、ブログさぼっていました。

ここ、2年ほど落ち着かない月日を過ごしてます。
やりたかったな、と思いながら人生終わりたくないなと思い、いろいろあって、いろいろやり過ぎて、疲れている、年末です。

先日、小学校の担任だった先生から当時の交換ノートが送られてきました。

幼い私の字とまだ20代でいらした先生の字。

タイムマシーンでした。

後日、先生にお礼の電話をかけた際、
いつまでもなりたい自分にはなれなくて悪戦苦闘です、と話すと

『この年で叱ってくれる人がいるありがたさ、だよ。
たいていはできあがってしまったと勘違いのなかで過ごしてしまう。
ゆみちゃんはあのころも努力の人だった。
きっといい仕事ができるくようにかわっていくよ。
いままでも、どんな困難でもがんばれたじゃないか。大丈夫だよ。』

小学校の教室前の廊下に、先生といるような錯覚をした。
ポロポロ涙があふれた。

頑張り方がよくわからなくて空回りして、着実ってことも忘れていたかも。
積み上げできたものを評価なく崩されることがただくやしかっただけなのかも。

まだまだ始めたばかりだもの、がんばろうって思えました。

先生、私は努力の人なんかじゃありませんよ。
テキトーになんとなく通りすぎただけなんです。
もともと、たいしたことはなかったんだ。

もう少しがんばります。

あいかわらず、あんまり片付いていない、ろくに掃除も終わっていないうちだけど、
年末に無事孫も産まれたし、おばあちゃんも回復に向かっているし、何十年ぶりかの年末年始連休だし、
とりあえず幸せってことで、2016年は暮れていきそうです。

なにか、達成するとか手に入れることはなくても、
がんばったな、とおもえる余生にむけて、
またひとつ歳をとります。

A Happy New year
よいお年を。

yumi.k  


Posted by リリィ at 23:10Comments(2)

2016年03月15日

お返し

倒れそうな毎日を送っていた週末、久しぶりに顔をあわせた旦那がポンッとチョコレートギフトをくれた。

『お返し…』

あれ?バレンタインのお返しなんて、今までもらったことがないような。


プロポーズは『僕にできるだけの幸せを君にあげるから』

数年後、
『って言ってたくせに』と責める私に
『悪いけど、これで精一杯や。お前が望むだけとはいってへん!』

昨年の夏から遠方に通勤し、クタクタの私に黙って付き合ってくれた。
散らかる部屋も貯まる洗濯物も一人飯も黙って付き合ってくれた。

今日はメールで、
『靴下、穴があいてなん足か捨てた。買ってきてくれへん?』
そんなことにも気づかないほど疲れきっていたかしら。
主婦失格ね。

『僕にできるだけの幸せ』をもらっていた。

靴下、買ってくるわ。
ありがとう。
  


Posted by リリィ at 10:27Comments(2)

2016年02月24日

春から。

看護学院の教員になることになりました。

高校生の頃の夢は教師でした。
でも、共通一次を受けませんでした。
いろいろあって。

看護師になって、後悔することも多かったけど、やめてしまおうと思う度、神様は『やめるなよ』とエピソードをくださいました。

こんな私に、一緒に働こうよ、と言ってくれる人もたくさんいてくれて、ダメダメながらみなさんの支えで30年、臨床ナースとしていられました。
みなさんからいただいたたくさんの学びと経験を最後は『卵たち』に託そうと思います。


我が子のような学生さんたちと
過去の栄光ではなく、未来をみつめたいと思います。

劣等生の私をこの仕事に繋ぎ止めてくれたたくさんの先輩と友人と患者さんと、

そして、亡き父、母、家族に感謝して。

学びを止めない自分でいたいです。
  


Posted by リリィ at 11:39Comments(2)

2016年01月16日

明日は1月17日

明日は阪神大震災のあった日。

21年もたつなんて、信じられない。
でも、4才だった娘が結婚するくらいの年になったんだもの、ずいぶん前のことだけど。


熱いよー!と叫ぶ子供を火事の迫る倒壊家屋に残してきたと話し、早く死なせてくれと懇願していたお母さん。

瓦礫の中で、指先に触れる赤ちゃんの体温が冷たくなっていくのを感じながら、ただその子の好きな『ぞうさん』の歌を歌ってあげるしかできなかったお父さん。

階下から迫る炎に、手を繋いでマンションから飛び降りた新婚の二人。

亡くなって動かない赤ちゃんを抱いていつまでも子守唄を歌っていた若いお母さん。

連休明けの朝だった。
いつもの、普通の、朝のはずだった。

ずーっと、ずーっと、ずーっと忘れない。

あの日の衝撃、あの日の臭い、あの日の空気、

あの日のすべて。

  


Posted by リリィ at 11:55Comments(2)

2015年12月31日

大晦日

今年はいろいろありました。
元日のおみくじが大吉だったのに、転がるような1年でした。
久しぶりに神経も体力も消耗しました。
でも、きっといつかのための学びなのだと思えます。

いつまでもなりたい自分になれませんが、だからチャレンジをやめたくありません。

来年は、新しいチャレンジの年にしたいです。

今年出会ったすべての人と出来事に感謝して

ありがとう。2015年。

  


Posted by リリィ at 21:07Comments(0)

2015年12月04日

師走

一年なんてあっという間。
12月がまた巡ってきた。

今年の下半期は激動とチャレンジの半年で、もともとキャパシティのちっちゃい私には無謀な挑戦だったのかもしれない。

はじめ、遠巻きに接していた職場のスタッフも、なんだかんだいいながら私に馴染んでくれて
『いじって』くれるようになってきました。

いつまでも完璧な業務ができない私に、黙ってフォローしてくれていたり、事前にこれやりました?とチェックしてくれたり。

今月から管理者の病棟師長がかわり、病棟把握がまだ浅い新師長のフォローやスタッフの調整やなんやかや、仕事が倍増。

完全にキャパ越えの毎日にケアルスミスが増えてしまいました。

情けなく、まわりに申し訳なく、
入職からずっと、なんでずっと、こんなに毎月ハードルばかりなのかと
疲れきっています。

かといって、私が見たかったものはなにひとつ見つからず、
目指すものがいったいなんなのか、
疲労がかさむ日々に見いだせなくなっています。

疲れは心身をむしばみますねぇ。

がんばるとか耐えるとかを越えてきました。

壊れるかもしれません。


  


Posted by リリィ at 11:58Comments(4)

2015年08月09日

七夕祭り












先週、母の姉にあたる叔母が亡くなった。
享年、91才。

私の父の勧めで仙台に家族で転居してきたのは私が生まれる前のこと。
私が生まれてからは半ば育ての母のような人だった。

晩年は肺を患い、在宅酸素が欠かせない状態だったか、同居する末娘や孫たちに介護されながら、ゆるゆる暮らしていた。

6月の末、両親の墓参りを兼ねてそんな叔母を突然訪ねた。

たいそう、喜んでくれて、
『うれしいなぁ、あえてうれしいなぁ…』と、何度も何度も言ってくれた。

太って豪快な人だったのに、小さくなったなと思ったものだった。

『また来るね、元気にしてなよ』
『んだなぁ、またきてよ、待ってるよ』

そんな会話が最後になった。

そして、仙台の花火の日、叔母は天に登っていった。
パーン!と打ち上げ花火とともに。
毎年、この季節になれば思い出してもらえるように、そんな日を選んで逝ったのかな。


七夕のころは航空券も最高値だから、20年くらい七夕には行ってなかった。

叔母がたまには見ていきなと、呼んでくれたのかと思った。

西公園で花火をみて、翌日七夕の吹き流しをくぐり、仙台駅で地魚のお寿司を食べて、笹かまを買って帰路についた。

今年の仙台は関西に引けをとらない暑さだったけど、
七夕が過ぎたらきっと過ごしやすくなってくるのでしょう。


叔母が用意してくれたつかの間の帰郷は
懐かしい、夏休みのにおいがしました。。


  


Posted by リリィ at 16:33Comments(3)

2015年07月18日

新しいの職場で












7月1日から新しいの職場で働き出しました。

辞めなくてもよかった職場を辞めて、おまけにありがたいことにまわりのみなさんに本当に惜しまれて
職場をかわりました。

最後の勤務の日には
リハビリのスタッフがみんなで花束を持ってきてくれたり、
毎日ロッカーを開けると誰かしらなにかお餞別のプレゼントを入れてくれていたり、

あなたと一緒に働けて、私はこんな変化をすることができた、とか、
あなたのこんな姿が印象的でした、とか
それぞれに私の前途を励ましてくれました。

なれない職場はなにかとたいへんですが、
遠方から通勤する私を皆は心配してくれ、
物の場所ひとつわからずに探し回る私に声をかけてくれます。

はじめは遠巻きに接していた人たちも、少しづつ話をしてくれるようになりました。

最近、疲れてきたのか、不意に涙ぐんだりしてしまいますが、
不思議とつらくはありません。

毎日のように、『いやになったら帰っておいで~』とLINEメールをいただきます。

ありがとう、ありがとう。

みなさんの励ましを胸に、
もう一歩、前に進めるようがんばります。


  


Posted by リリィ at 15:52Comments(2)

2015年06月04日

仙台でたべたいもの!













『ほや』

関西では食べられない。

昔は(いまもかな)普通のスーパーとか生協でふつーに売っていて、
コロコロと数個買ってきては家でムキムキ。

剥きながら食べたりして。

いつだったかケンミンショーで、仙台の人はふつーにほやをさばける、というのがあった。
若い女性からお母さんまで、『できますよ~。』とむきむきしていて、
さすが宮城県人と思ったが、
意外にもできたのは全体の3割だったことにちょっと驚いた。
いまはあまりうちでさばくことがないのかしら。


仙台についた晩、夕食を付き合ってくれた友人が『なにたべたい?』っていうので、

『ほやたべたい!』

名掛丁の居酒屋さんで、何年ぶりだろ、ほや~!

あぁ、仙台に来たんだなぁ~と思える味でした。


  


Posted by リリィ at 09:34Comments(2)

2015年05月31日

つかの間の故郷へ















二連休があったので、急に思い立ってLCCで仙台にいきました。

看護学校時代の友人二人に連絡をとったら、一人は到着の夜に、一人は2日目に秋保温泉に、と付き合ってくれました。

夜勤明けで関空に向かい、夕方のフライト。
夕陽がきれいでした。

到着したのは夜でしたが、丁度の時間にアクセス交通の電車があり、
乗り込んで仙台駅へ。

飛行機はあっという間にふるさとにはこんでくれました。

しかし、仙台はいつ行っても工事中。
今は地下鉄工事のせいでしょうか、駅の構内も道路も、工事ばかりですね。

来るたびに知らない街に変貌する仙台ですが、懐かしい風景はそれなりに残っていて、うれしくて胸いっぱいに空気を吸い込んでみました。

関西より少し冷たい空気には仙台の匂いがしました。


  


Posted by リリィ at 15:08Comments(0)

2015年05月24日

循環器学習会

最近、不定期になっていた神戸の循環器学習会。
久々の開催で昨日・今日の2日間、神戸に滞在。

やっぱり、勉強は楽しいし、知らないことがまだまだ一杯あることを
自覚するのも楽しい。

ただ、最近、なんだかやる気にならず、放置しているものも多い。

がんばろう。

なにかに報われるためではなく、知るために。

  


Posted by リリィ at 16:47Comments(2)

2015年02月26日

ヘッドハンティング

人生の終わりを意識した夏の日から
半年が過ぎて

このまま、足元を掘って、涌いてこない泉を探そうかと思っていたところでした。

そろうときにはそろうもの。
そう、友人に言われたけれど、そんなこと、ないんじゃないかって、思っていました。

そういえば、最近いろいろ、そろってきたのかも。

『たいへんなところなんだけど、一緒にがんばってくれない?』


ありがたいお誘いをいただきました。

条件があえば、チャレンジしてみようかと思います。
  


Posted by リリィ at 18:01Comments(5)

2015年02月05日

大吉はいつ頃…


大吉のおみくじに気をよくした年明けから早、1ヶ月。

いまのところ、まったく実感なし。
なんだよ…(-""-;)。

それどころか、胃潰瘍(たぶん)になるわ、健側だった左膝が痛くてあるきにくいわ、仕事ではわけわからんこといわれイラッとするわ、
大したことない1月でした。

う~ん。
これからなのか?

Ψ( ̄∇ ̄)Ψ

  


Posted by リリィ at 23:20Comments(2)

2015年01月01日

明けましておめでとうございます。












元旦のおみくじは『大吉』~。

大吉って、わりとなんか、『いいんだけど、こんなことするとだめだよん』的なダメ出しがあるものだけど、
今回のはもろ手を上げてveryhappy~。
こんなの、引いたことない。

しかし、注釈ひとつ

『色に溺れ酒に狂えば凶』

………どっちも無理!

ってことで、気分よく夜勤に行けます。



みなさん、今年もよろしくおねがいします。


  


Posted by リリィ at 12:05Comments(4)

2014年12月27日

年内最後の

今日は神戸にいってきました。
年内最後の循環器の学習会。

講師をしてくださる先生は、今日、救急当直なのだそうで。
お忙しい。

先生とお仕事していたのは神戸時代。
私の第一印象は『こわい看護婦さんがいるなぁ~(((((((・・;)』
だったそうで。

ひどいなぁ。
ちょうど、病棟で患者さんにひどく接する外科のドクターに抗議していたところを見られたのが初めみたいで。
あの頃は私も生意気だったから。

患者さんを『友達』とよび、住み慣れたこの街で『死なせてやりたい』という。

安全はみんなで創るものといい、職種を越えた学習会を主宰している。

こんな病院をつくっていきたいね、と、
思いはおなじなんだけど、環境を共にできないのが残念でならない。

理想を持つこと
スタッフを大切に思うこと
なにより『ここ』で満足しないこと

なんだか最近、基準とかクレームとか、そんなことに神経を使いながら

本質がなんだかわからなくなる毎日の仕事。

医療ってなんだろう、って忘れそうになっているこの頃だから
先生の情熱に触れる度に
あぁ、そうだったと思い出す。

来年は阪神大震災から20年。
いまだに病院の最寄り駅に降りると涙が込み上げる。

振り返れば、4才の小さな娘がいるような気がする。
きれいになった歩道に、山積みの瓦礫の幻をみる。
埃と焼け焦げた臭いがする。
駅から病院への道すがら、
あの日、病院に駆けつけなかったことをまだ後悔する。

だからこそ、私がもらってきた財産を、どうやって若い人に置いていこうかと考える。


『悪いなぁ、遠くから来てもらって……。』

いつもにこにこ迎えてくれ、
素敵な生意気盛りのスタッフに
あの頃と変わらない信頼を集めている。

もう一度、先生と仕事したいなぁ…。


『また、連絡するよ、来年もよろしくなぁ~』


こちらこそ、部外者ですが、また仲間に入れてください。
来年もよろしくおねがいします。  


Posted by リリィ at 20:10Comments(1)

2014年12月25日

メール

先日の記事の主人公からメールが来ました。

『ブログ見ました。
私のこと、わかってくれた。
ありがとう。』



学生のころ、実習グループが一緒でした。
彼女の思い、考え方、賢さ、明るさ、無邪気さ、一途さ、
みんな私になかったものでした。
すごいなぁって、いつも羨望の眼差しでみていました。

卒業してからは頻繁に会うこともない月日をすごしてきましたが、
時に笑わせてくれ、時に厳しい指摘をくれる友であります。

それなのに、私のことを、
すごいね、えらいね、とほめてくれるんですよ。
ただの、ハリボテの私を。


へーちゃん、

へーちゃんなら、きっと越えていけるよ。
いつも応援してるよ。

友達でいてくれてありがとう。


  


Posted by リリィ at 15:59Comments(0)

2014年12月23日

『あなたは必要ない』

東日本の大震災で、沿岸部の街の病院に勤務していた友人がいました。

災害当日から外部との連絡は途絶え、建物のまわりは押し寄せた津波と瓦礫と港の重油で満たされ、

職員・患者さんあわせて500人ほどの人が救助を求めるすべもなく過ごした数日。

スプーン一杯分のレトルトご飯とわずかな水だけで
自分の家族や家がどうなったのかもわからないままに

救助の手が差しのべられるまで守り続け、
救助のあとも地域の介護・医療に奔走していた。

災害を経験と教訓を、依頼があればよろこんで全国に講演に出掛けていた。

思い出すのも辛いだろう経験を
次の減災のためにと、冷静に想起して分析して。

再建したら今度こそこんな病院を造っていくんだと迷いながらも悩みながらも夢を抱いていた。

数年間をただの事務作業に費やしたくないと、ほかの医療施設に勤務しながら
あと、もう少しで再建がかなう、といういまになって、

『あなたはここを捨てていった人、再建にもうあなたは必要ない』



管理者として最高峰の資格を持っている彼女を必要としないとはいったいどういう理由だろう。


災害当時から、現場を大切にしていた。
媚を売るとか、『大樹』にすりよるのをよしとしない人だ。

復帰する意思があるなら、彼女のこの数年の過ごし方に問題がなかったとはいえないかもれないし、
日本にはまだ仲良しクラブな組織も多い。
人脈や親密さが将来を決めることもある。
能力よりイエスマンが徴用されるのが世の常だ。

しかしだ…。

彼女の落胆を、無力感を、我が身の如く感じる。


来年、失意の中で大学院への進学を決めた彼女。

災害に対応できる組織を造る研究がテーマらしい。

さらなる活躍の場が彼女に与えられることを心から願っている。
  


Posted by リリィ at 12:20Comments(0)

2014年11月06日

小さいときの娘

今日、和歌山にきてからずっとお世話になっている美容室で、
小さい頃の娘の話になった。

赤ちゃんのときから読み聞かせをするといいと聞いたので、かなり早い段階から寝る前には絵本を読んで聞かせた。

そのせいか、他の子より言葉の構成が早く、保育園の保育士さんに
すごいですねー!と驚かれたものだ。

3才くらいのころ、イヤイヤが始まり、なんでもイヤイヤ、ご飯もイヤイヤ時代があった。

そんなある日、あんまり食べないので、腹が立った私は彼女に

『外国には食べたくても食べられなくてお腹をずっとお腹をすかせて、死んでしまう子供だっているのよ!残さず食べなさい!』と叱った。

叱られて、ちょっと涙ぐんだ彼女。

口をへのじにしながら、反論した。

『じゃあ、こず(娘)がちゃんと食べたら、その子たちもお腹一杯になるの?ちがうでしょ?
そんな、しらないところの子のこと、いわれてもわかんない!』

いや、そこじゃないんだが。

論点はずれてるが反論する3才児に、笑ってしまった。

確かに、日々の夕飯時に引き合いに出す例えではなかったのかなと
ちょっと反省しつつ、
お母さんがあなたのために一生懸命作ったから、食べてくれないのは悲しい、という路線に変更した。

『はじめから、そういえばいいのにぃ~。』

にんまり笑顔で完食してくれた。


こいつは我が子なのか、エイリアンなのか、と思ったものだ。

読み聞かせはやはり効果的なのか。

エイリアンが今度はどんな子育てをするのか、いまから楽しみだ。


  


Posted by リリィ at 17:56Comments(2)

2014年10月12日

この半年

なんだかアンラッキーなことが多いのは気のせいだろうか。

4月からの勤務異動、車の事故、7月の救急搬送、そして今度は原因がわからない激しいめまい。

起き上がると、まるで酒に酔った酩酊状態のように視界がぐるぐるまわる。
どこかに掴まっていないと倒れそうになる。

検査をしても何も発見されない。
なにか見つかってもたいへんだが。

疲労か更年期障害か、精神的な身体症状か。

とにかく、止まってほしい。
なにもできない。


  


Posted by リリィ at 15:37Comments(2)