2008年11月27日
なにか。
ある重大事件の容疑者が
子供のころに保健所に連れていかれた愛犬の仇をとるために
この事件を起こしたと供述していると報道されていた。
動物であれ、愛していたものの死は悲しい。
それが天命であったとしても。
まして、理不尽な死であればなおさらだろう。
幼かった彼の悲しみを察するが、
しかし、その手が奪った命とその遺族の悲しみ憎しみを彼は想像できなかったのだろうか。
自分に起きていない痛みゃ苦しみさえ、人間は察し想像し擬似体験してそれを『思いやる』ことができる。
悲しみを心の傷としてもった彼ならば、
それを知るものとして思いやる心を育てて欲しかった。
いやたぶん、この動悸はなんだかダミーのような気もして。
本当のことはちがうところにあるような。
かつて、明治のころ来日した外国の技師たちが
礼儀正しく、慈悲深く、幼子を慈しみ、年寄りを大事にし、なにより笑顔で暮らしている日本人の民族性に
憧れすら抱いたと書き残している。
なにか、大事ななにかを私たちは置き去りにして、
自分だけは違うと思いながら暮らしているのかもしれない。
子供のころに保健所に連れていかれた愛犬の仇をとるために
この事件を起こしたと供述していると報道されていた。
動物であれ、愛していたものの死は悲しい。
それが天命であったとしても。
まして、理不尽な死であればなおさらだろう。
幼かった彼の悲しみを察するが、
しかし、その手が奪った命とその遺族の悲しみ憎しみを彼は想像できなかったのだろうか。
自分に起きていない痛みゃ苦しみさえ、人間は察し想像し擬似体験してそれを『思いやる』ことができる。
悲しみを心の傷としてもった彼ならば、
それを知るものとして思いやる心を育てて欲しかった。
いやたぶん、この動悸はなんだかダミーのような気もして。
本当のことはちがうところにあるような。
かつて、明治のころ来日した外国の技師たちが
礼儀正しく、慈悲深く、幼子を慈しみ、年寄りを大事にし、なにより笑顔で暮らしている日本人の民族性に
憧れすら抱いたと書き残している。
なにか、大事ななにかを私たちは置き去りにして、
自分だけは違うと思いながら暮らしているのかもしれない。
Posted by リリィ at 15:09│Comments(0)