仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

2009年07月05日

子育て

最近、テレビで「カヨ子おばあちゃんの育児相談」ッテなことを

よく放映している。

若いお母さんからの相談に答える私の母くらいのおばあちゃん。

有名な脳科学者を夫にもつ方だという。

でも、寄せられる若い親たちの相談内容はなんだか貧相で

優秀な子供に育てるにはとか、どんなおもちゃがいいかとか。。。



思えば、高度成長期に子供時代を過ごした私だが

別に貧乏でもなかったのに

高価なおもちゃやゲームは買ってもらえなかったし、

幼児教室や塾なんかに通うこともなかった。

父と一緒に散歩に行けば

その辺の雑草が、飛行機になり空へとんだし

細竹は小刀ひとつで竹とんぼや空気鉄砲になったし、

トンボやチョウチョや蝉の捕まえ方を教えてくれて、

すぐ死んでしまう虫たちにその命のはかなさを教えられた。

牛乳瓶の蓋はコマになり、メンコになり、どうすれば友達よりうまくなるか考えた。

河原の石はマジックでちょっと目を入れれば、かわいい動物に見えた。

母と過ごせば、

端切れはお手玉になり、おみやげにもらった小さな貝はおはじきになり

残り物の毛糸はあやとりのひもになった。

しろつめ草やタンポポは首飾りになり、髪飾りになり、

残りご飯やパンの耳は、油で揚げてお砂糖をからめて

おいしいおやつになった。

お風呂ではタオル一枚でぶくぶくしたりばしゃばしゃしたり

おもちゃなんて浮かんでいなくてもワンダーランドだったし、

湯気でくもる窓は指でなぞれば落書き版だった。

夕食後にはみんなで同じ番組で笑い、トランプに興じた。



そんな、かつての子育ては、

なんだか「教育」という商売にかきけされてしまい、

高学歴の親は、知育とかリトミックとかそんな言葉にまどわされて

子供から考えることや、工夫することや、人と折り合う学びの機会をうばい

四季を肌で感じることや、食べ物を大事にすることや、ものの命を最後の最後まで

使い切ることを知らさずに

高価な玩具や「お教室」に通わせ、いい教育をしていると勘違いしているのかもしれない。



カヨ子おばあちゃんのアドバイスを聞きながら、

今更ながら、私はいい教育を受けてきたのだと感謝する。

カヨ子おばあちゃんの子供達のように。。。東大には行かなかったけどね。


Posted by リリィ at 23:04│Comments(2)
この記事へのコメント
たまに私もカヨ子ばあちゃんのとこ見ます。
私が見た回は子供のしかり方・・・・なるほど、と思いました!
昔の様な教育するには社会的な環境も変わってしまいましたが、何かを与えればそれだけでOK、という考えは違いますよね。
Posted by しろねこしろねこ at 2009年07月10日 14:42
しろねこさん

時代や環境が違うだけで、子供の根本はいつの時代も同じ。

高いおもちゃがなくても、子供は楽しく遊んで学べて疲れて幸せに眠ってくれるのです。

病院に面会にきてもゲームに興じる子供達に、未来への不安を感じています。
Posted by リリィ at 2009年07月10日 20:56
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    コメント(2)