仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

2012年01月13日

再発

今年も関西での恒例行事『十日戎』が終って、街は静かになり寒さも増してきた。

阪神大震災のあと10年ほど、この季節になると震災当時の夢をみて、地震発生時刻に目が覚め、瓦礫や火災の焼け焦げたニオイがした。

それは毎年17日の震災忌まで続いた。

それが10周年を過ぎたころからなくなり、私の心の重しも軽くなって

そうか、もう充分だよとだれかがいってくれている気がしていた。


しかし、昨年の東北の震災以降、繰り返される報道と、阪神大震災との比較される被害の状況、

さらに帰郷の際目にした、見慣れた風景の変貌。。。

秋に再会した友の経験談、災害医療研修。


もう17年前の出来事が、またリアルに想起された。


だけど、もう大丈夫だと思っていた。

去年だって、震災関連の記事をみても涙がこぼれることはなかった。


しかし、今年は違った。

『戎さん』の終った翌日から、5時前後に目が覚める。

ニオイがする。

地鳴りが聞こえる。


新聞記事に涙がこぼれる。




今年は、17年前と同じ曜日まわり。

1月17日は火曜日。

1995年はまだ成人式が15日で、16日は振替休日。

連休明けの17日、私は日勤でたまたま職責者不在の日だった。

リーダーだった私は、病棟の責任者だったはずだった。

。。。しかし、行かなかった。

娘がケガをしているのに、こんな時に家族より仕事か、と主人にとめられて。

痛みと恐怖に怯えた幼い娘を置いて行くのはたしかに忍びなかった。

連れていくなり預けるなりして仕事にいくことを強行することもできた。

しかし、強行まではしなかった。


夕方にやっと病院に駆け付けた私に同僚は『無事でよかった、こないのはなにかあったからだと思っていた。』と

私と私の家族の無事を喜んでくれた。

私が、出勤しなかったことを誰も責めたりしなかった。

さらには、『今日はなんとかなるから、明日から出られそうだったら来て。無理でも連絡はいらない』

明石から(休みなのに)自転車で駆け付けた上司はそういってくれた。


病院を離れるとき、ごめんなさい、ごめんなさい、と思いながら、

喧騒の職場から離れることにどこかホッとしている自分がいて


そのことが長い間許せなかった。



時間をかけて、大学で心理学も学んで、やっと溶かした氷が


昨年の震災でまた硬く凍り始めたのか。




いま、すべきは固まっていることでもない。

記事に涙することでもない。

忘れないことでもない。



今日来るかもしれない『東南海地震』の減災に

備えることだと思っている。

経験者として。



今年の震災忌は偶然にも休み。

同じ曜日まわりの17日。

いままで17日に休みがあっても神戸に行くことができなかった。心情的に。


今年は、行こうかなと思っている。

5時46分にいられなくても、『同じ日』に神戸に居たいと思う。


自分の中の記憶と対峙するために。


足元に迫りくる、次の大災害に、今度こそ後悔のない自分でいたいと思うから。


今朝も、あるはずのない火災のあとのニオイがした。


気が済めば、少しは私の中の『亡霊』は影を潜めるのか。。。


軽い心の傷口は、時々血を流して私に警告を続けるのだろうか。



神戸は。。。

『お帰り』と言ってくれるかなぁ。。。


Posted by リリィ at 14:08│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
再発
    コメント(0)