2008年02月09日
ひよこの思い出 パートⅡ
出来損ないの新米ナースを勇気づけてくれた先生がもう一人。
内科の研修医、E先生。
内科なので、オペ室とはあまり関わらないように思うかもしれませんけど、検査で週一回はお目にかかっていました。
私は内科の検査担当になっていたので、朝早くからの検査によくついていました。
このころはひよこでも、ちょっとは生意気になってきた頃で、少しは動きがとれるようになってきた2年目の5月、
外来とのローテートで「救急当直」に入ることになりました。
勤務していた病院は、第二次救急を取っていたのでなんでも来いの第三次に比べれば、夜間の対応も少なく運が良ければ朝までぐっすり眠れる。。。という人もいましたが。
その日は、2回目、連休の日直をへてたった一人で入った初めての当直でした。
当直医はE先生。
内科医局にいるよと。。。
ドキドキしながら夜間を迎え、電話が鳴りませんようにと願いながら当直室で待機していると、電話が。。。
「はぃ。。。当直ですぅ。。」
「救急隊から急患受け入れの要請です、聞いてください」
事務当直からだった。。。
あぁぁぁぁ。。。なんだろう。。。
救急隊につないでもらうと、自宅でみぞおちの痛みを訴えて搬送を要請された。貴院への搬送を希望されているんですが。。。と。
住所を聞くと病院から30分はかかるところ。。。
途中には市立病院もある。
「もし、心筋梗塞などの心疾患なら、ここまで搬送されるより市立病院の方が近くて早い処置が受けられませんか?」
「ご家族がそちらを希望されていまして。。。」
えぇぇぇ。。。。。。
「当直医に報告します。お待ちください」
先生は、
「市立病院の方がいいかもしれないが。。。家族の希望なら仕方ない。受け入れましょう。」
返答してから、受け入れ準備に入った。
えっと。。。心臓かもしれないし。。。胃の穿孔かも。。。。。カウンターショックはいるかな。。。。カメラ室は。。。
経験の浅い私はおろおろするばかり。。。
救急車が到着する前から先生は救急薬品を確認にやってきた。
「薬局を開けて、これだけ薬品を持ってきておいて。」とメモをくれた。
「先生、私、急変にもついたことなくて。。。よろしくお願いします。。」
ぱたぱたと薬局へ走る。薬品をチョイスしている最中、サイレンの音が近づいてきた。。
あぁぁぁ。。。きたぁ。。。
サイレンが止まって救急車のドアが開く。
ストレッチャーの患者さんは心臓マッサージをされていた。
。。。心肺停止だぁ。。。
マッサージをしながら急患室へ。
蘇生処置が始まる。
次々と指示を出す先生に答えるのが精一杯。
つぎはなにをして良いのか、」先読みができない。
心拍が回復する兆しがないので先生は「ボスミンを局注するから、カテラン針つけて、吸って!」
(胸に針を刺して心臓に直接注射するんです)
「はい!」
っていって、アンプルを切って薬液を吸おうとするんだけど、針先がアンプルに入らない。
。。。手が震えて。。。
それをみていた先生は、
「いいかい、ここにはナースは君しかいないんだ、落ち着け、落ち着いて!」
泣きそうになりながら指示されるままに動いた。
怒濤の1時間が過ぎても、患者さんは一命を取りとめられず、死亡確認となった。
片づけをおえて、報告書を書いている先生に役に立てなかったことをわびにいった。
「お役に立てなくて。。。」
先生は手をとめて
「とんでもない。君がいたからできたことだよ。僕一人ではなにもできなかった。
とても頼りになったよ。 ありがとう。
初めてのことで疲れただろう。お疲れさま。
急患、朝まで来ないと良いね。
電気消していくから、先に休んで。 僕は病棟に用があるし。」
もっとしっかりしなさいとか、ダメだとか、毎日職場で言われていた言葉とはまったく違う感謝の言葉だった。
この情けない私に。。。
先生にとって、やりやすいパートナーではなかったはず。どっちかといえば、頼りない新米ナース。
なのに。。。ありがとうって。
うれしかったのと、緊張から開放されたことと、情けないのとで、ぽろぽろと涙が出た。
本当に、心から頼りにされるナースになりたい。。。
22才の初夏のことでした。
このときと酷似した情景が、4年目の退職直前、最後の当直の日、昭和最後の日に訪れました。
あの日、救急車を待ちながら、この日をオーバーラップしていました。
たくさんの人にたくさんの学びをいただきながらここまできたのだと、今でも思っています。
E先生、お元気かなぁ。
内科の研修医、E先生。
内科なので、オペ室とはあまり関わらないように思うかもしれませんけど、検査で週一回はお目にかかっていました。
私は内科の検査担当になっていたので、朝早くからの検査によくついていました。
このころはひよこでも、ちょっとは生意気になってきた頃で、少しは動きがとれるようになってきた2年目の5月、
外来とのローテートで「救急当直」に入ることになりました。
勤務していた病院は、第二次救急を取っていたのでなんでも来いの第三次に比べれば、夜間の対応も少なく運が良ければ朝までぐっすり眠れる。。。という人もいましたが。
その日は、2回目、連休の日直をへてたった一人で入った初めての当直でした。
当直医はE先生。
内科医局にいるよと。。。
ドキドキしながら夜間を迎え、電話が鳴りませんようにと願いながら当直室で待機していると、電話が。。。
「はぃ。。。当直ですぅ。。」
「救急隊から急患受け入れの要請です、聞いてください」
事務当直からだった。。。
あぁぁぁぁ。。。なんだろう。。。
救急隊につないでもらうと、自宅でみぞおちの痛みを訴えて搬送を要請された。貴院への搬送を希望されているんですが。。。と。
住所を聞くと病院から30分はかかるところ。。。
途中には市立病院もある。
「もし、心筋梗塞などの心疾患なら、ここまで搬送されるより市立病院の方が近くて早い処置が受けられませんか?」
「ご家族がそちらを希望されていまして。。。」
えぇぇぇ。。。。。。
「当直医に報告します。お待ちください」
先生は、
「市立病院の方がいいかもしれないが。。。家族の希望なら仕方ない。受け入れましょう。」
返答してから、受け入れ準備に入った。
えっと。。。心臓かもしれないし。。。胃の穿孔かも。。。。。カウンターショックはいるかな。。。。カメラ室は。。。
経験の浅い私はおろおろするばかり。。。
救急車が到着する前から先生は救急薬品を確認にやってきた。
「薬局を開けて、これだけ薬品を持ってきておいて。」とメモをくれた。
「先生、私、急変にもついたことなくて。。。よろしくお願いします。。」
ぱたぱたと薬局へ走る。薬品をチョイスしている最中、サイレンの音が近づいてきた。。
あぁぁぁ。。。きたぁ。。。
サイレンが止まって救急車のドアが開く。
ストレッチャーの患者さんは心臓マッサージをされていた。
。。。心肺停止だぁ。。。
マッサージをしながら急患室へ。
蘇生処置が始まる。
次々と指示を出す先生に答えるのが精一杯。
つぎはなにをして良いのか、」先読みができない。
心拍が回復する兆しがないので先生は「ボスミンを局注するから、カテラン針つけて、吸って!」
(胸に針を刺して心臓に直接注射するんです)
「はい!」
っていって、アンプルを切って薬液を吸おうとするんだけど、針先がアンプルに入らない。
。。。手が震えて。。。
それをみていた先生は、
「いいかい、ここにはナースは君しかいないんだ、落ち着け、落ち着いて!」
泣きそうになりながら指示されるままに動いた。
怒濤の1時間が過ぎても、患者さんは一命を取りとめられず、死亡確認となった。
片づけをおえて、報告書を書いている先生に役に立てなかったことをわびにいった。
「お役に立てなくて。。。」
先生は手をとめて
「とんでもない。君がいたからできたことだよ。僕一人ではなにもできなかった。
とても頼りになったよ。 ありがとう。
初めてのことで疲れただろう。お疲れさま。
急患、朝まで来ないと良いね。
電気消していくから、先に休んで。 僕は病棟に用があるし。」
もっとしっかりしなさいとか、ダメだとか、毎日職場で言われていた言葉とはまったく違う感謝の言葉だった。
この情けない私に。。。
先生にとって、やりやすいパートナーではなかったはず。どっちかといえば、頼りない新米ナース。
なのに。。。ありがとうって。
うれしかったのと、緊張から開放されたことと、情けないのとで、ぽろぽろと涙が出た。
本当に、心から頼りにされるナースになりたい。。。
22才の初夏のことでした。
このときと酷似した情景が、4年目の退職直前、最後の当直の日、昭和最後の日に訪れました。
あの日、救急車を待ちながら、この日をオーバーラップしていました。
たくさんの人にたくさんの学びをいただきながらここまできたのだと、今でも思っています。
E先生、お元気かなぁ。
Posted by リリィ at 01:14│Comments(0)