主人の母は、嫁いで10年たつやたたずで姑の自宅介護生活になった。
子育てと家事とわがままな姑の世話と、当時営んでいた建具屋の職人さんのまかない、町内会のあれやこれや。。。
みんな一人でこなしてきた。
介護生活が10年をすぎたころ、舅も倒れ、在宅で介護する手間は二倍に。
姑であるおばあちゃんはオムツを嫌がり、失禁ばかりで洗濯は大家族並だったという。
夜中にトイレに連れていけとなんどもベルを鳴らして起こされる。
到着するまで鳴らしつづけるから家族中が起こされる。
早くいってやらんか!と夫から叱られる。
熟睡する間もなく朝がきて、また洗濯、食事の支度片付け、買い物などに追われる。
そしてまた何度も起こされる夜がくる。
『自分でもよくやったなぁ〜って思うわ。』
と、笑って話す。
昔だって、いまほどでないにしても、老人のショートスティや一時入所くらいあったはずだ。
どうして、入院や入所させようとか思わなかったの?ときいたら
『年寄りいなかったら楽に決まっている。あずけたってまた帰ってくるやろ?
そんとき、あぁ、この人ら、おらんかったらよかったのになぁ〜って思うのがいやだった。
そんなこと考えてしまうくらいなら、楽を知らないほうがいいと思ったんよ』
この話しを聞いたとき、この人はなんとしても看取ってあげようと思った。
先日、腰痛と椎間狭窄症による足の痛みに、家事もままならなくなった。
実の娘のほうがわがままも言いやすいかなとと思って、明石(神戸より西)に住む主人の姉に来てもらえないか依頼して一週間ほど実家の家事と義母の手助けを頼んだ。
まぁ、来てくれたのだが、最終日、主人に、
『介護なんてしたことないから私はできない。動けないなら病院なり施設なり入れて』と言って帰ったらしい。
もっともだと、主人も同感だったらしい。
なんということ!
母親の数十年をこの姉弟はなんとみてきたのだろう。
帰ってから電話の一本もくれないと義母は悲しんでいた。
がんばる母をあたりまえの姿だと思い、それに手を貸そうとも思わなかったのだろうし、
義母も、自分一人で抱えすぎた。
子供達としても、親が動けなくなる日がくることは漠然と思っていても、『自分が』どう行動するかとか、
なにが必要かとか、
そんときにならないとわからないなんて考えていて
避けていたんだろう。
親が動けなくなったり、亡くなる順番はちゃんとまわってくる。
そんなの、何度も経験している人のほうが少ない。
やったことないからできないなら、世界中の人ができないし、義母だってできなかったはずだ。
自分の楽しみもなにもかも諦めて、家事と介護に人生費やしてきた母親の姿を
いったいどんな風にみてきたんだろ。
かわいそうに。
明後日、入院できるよう、病院に手配してもらった。
義父の食事は配食サービスを頼んだ。
お母さん、今度ばかりは少し自分のことだけ考えて。