2011年09月30日
使いすぎだろ
月末になると、今月10日ごろまでに使ったカード払いの請求書がくる。
最近、市内でわたわたしていただけだったから、電車などとんと乗っていなかったのに
ICOCAの請求書がきた。
犯人は京都に住んでいる娘。
8月一ヶ月で4万弱のチャージをしている。
名古屋に研修だとかいってでかけてはいたが、新幹線で往復したってそんなにはかからない。
で、生活費から天引きを言い渡した。
使いすぎだっつうの!
最近、市内でわたわたしていただけだったから、電車などとんと乗っていなかったのに
ICOCAの請求書がきた。
犯人は京都に住んでいる娘。
8月一ヶ月で4万弱のチャージをしている。
名古屋に研修だとかいってでかけてはいたが、新幹線で往復したってそんなにはかからない。
で、生活費から天引きを言い渡した。
使いすぎだっつうの!
Posted by リリィ at
20:40
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2011年09月25日
昨日は
昨日、9月24日は一人娘の誕生日でした。
21年前、私のかつての職場だった病院で、産まれました。
前日からチロチロと「おしるし」があったのですが、病院に電話すると助産婦さんに
「初産だから、陣痛がもっと間隔狭くなってからでも大丈夫ですよ」といわれ
実家でのんびりしていました。
今は亡き母が、「いよいよね~」と妊婦の私より緊張し始め
入院の準備とかやたらと食事の支度を始めたりとなんだか落ち着かなかったのを
覚えています。
まだ幼かった兄の子供たちも、「赤ちゃん、でてくるの?」と興味津々。
私の大きなおなかに「はやくおいで~」と話しかけてくれました。
母は、「私の初産のときは丸々二日かかった。」なんていうから
こんな、痛いのがまだ続くのかとややうんざりしつつ。。。
9月24日の夕方、陣痛が連続するようになり、「それなら、入院準備をしてきてください」といわれ病院へ。
通いなれた道を通って、見慣れた病院まで、父の車で向かいました。
実習も、初めて働いたのもここだった。
待機室で陣痛監視計をつけると、「シュッ、シュッ」と胎児の心音が聞こえました。
「元気だね。ちょっとここで待っててね。」
そういって助産婦さんは退室。
しばらくするうちに失禁をしたようなあったかい水が下半身を覆いました。
「あ~。。。破水だ。。。」
ナースコールをおして「破水しました」と連絡。
そのとき見に来てくれた若い助産婦さんが、気に入らなかった。
私の掛け物を足元からめくって、
「あ~、破水ね、これは」
。。。。だから、破水だっていってるじゃん。。。。
陣痛の割に子宮口が開かず、「とりあえず夕食を食べましょう」と
産婦さんたちの食堂に「歩いて」誘導され、
「あなた、オペ室にいたから感染症あるかもしてないからあちこち触らないでね」
なんだよ。。。その扱いは。。。分娩予約していたんだから、感染症くらい外来で見てなかったのかよ。。。
食事の間も陣痛は続き、なに食べたのかよく覚えていない。
おまけに、食後は「子宮口開いてないから、歩いて」と指示される。
連続陣痛の中、「廊下をあちこち触らずに歩け」ってどうよ!
しばらく努力はしてみたが、どうにもこうにもつらくて無理。。。
夜勤帯に交代したのか、別の助産婦さんが「内診してみましょうか」と声をかけてくれる。
しかし、子宮口4横指。。。
「これだけ陣痛きてるから、分娩台に乗りましょうか」
浣腸で排便後分娩室へ。
陣痛監視計をつけると胎児は元気そうだったが、おなかはカチカチ。。。
何度か娩出を試みたが、そのたびに胎児心音が乱れる。。。2時間ほどがんばったけど
「子宮口が開きませんね~、赤ちゃん、疲れてしまうから先生呼んできます」
吸引分娩になった。
学生時代からよく知っているM先生がやってきて、
吸引カップを出したときは「やった、早く出してよ~」っと正直思った。
「ちょっと、つらいかも知れないけど、おなか押すからあわせていきんでね」
会陰部を切開する音がして、胎児の頭に吸引カップが装着されて
「いきんで!」
多分、娩出のとき、悲鳴をあげたと。。。
22時53分 女児娩出。
娩出すると今までの痛みは嘘のように消えうせた。
あぁ。。。子供を産むってこんなに大変なんだな。。。。
産まれてすぐシートにくるまれて私の胸元に来た赤ん坊は
重くてあったかかった。
(お前か、今まで痛かった原因は)
ちっちゃなこのあったかい生き物は、この日から我が家の娘となった。
私の最初で最後の出産になってしまったが、
娘が3歳くらいの頃
「わたしはおそらからみてて、おかあさんがいいなっておもって
おかあさんのおなかにきたんだよ。。。」といっていた。
だとしたら、神様がたった一人、私に授けてくれた子供だったのだろう。
あれから21年。
片手でだっこできたちびすけは
ずいぶん大人になってしまいました。
うれしいやら、さびしいやら。
こうちゃん、お誕生日おめでとう。。。
21年前、私のかつての職場だった病院で、産まれました。
前日からチロチロと「おしるし」があったのですが、病院に電話すると助産婦さんに
「初産だから、陣痛がもっと間隔狭くなってからでも大丈夫ですよ」といわれ
実家でのんびりしていました。
今は亡き母が、「いよいよね~」と妊婦の私より緊張し始め
入院の準備とかやたらと食事の支度を始めたりとなんだか落ち着かなかったのを
覚えています。
まだ幼かった兄の子供たちも、「赤ちゃん、でてくるの?」と興味津々。
私の大きなおなかに「はやくおいで~」と話しかけてくれました。
母は、「私の初産のときは丸々二日かかった。」なんていうから
こんな、痛いのがまだ続くのかとややうんざりしつつ。。。
9月24日の夕方、陣痛が連続するようになり、「それなら、入院準備をしてきてください」といわれ病院へ。
通いなれた道を通って、見慣れた病院まで、父の車で向かいました。
実習も、初めて働いたのもここだった。
待機室で陣痛監視計をつけると、「シュッ、シュッ」と胎児の心音が聞こえました。
「元気だね。ちょっとここで待っててね。」
そういって助産婦さんは退室。
しばらくするうちに失禁をしたようなあったかい水が下半身を覆いました。
「あ~。。。破水だ。。。」
ナースコールをおして「破水しました」と連絡。
そのとき見に来てくれた若い助産婦さんが、気に入らなかった。
私の掛け物を足元からめくって、
「あ~、破水ね、これは」
。。。。だから、破水だっていってるじゃん。。。。
陣痛の割に子宮口が開かず、「とりあえず夕食を食べましょう」と
産婦さんたちの食堂に「歩いて」誘導され、
「あなた、オペ室にいたから感染症あるかもしてないからあちこち触らないでね」
なんだよ。。。その扱いは。。。分娩予約していたんだから、感染症くらい外来で見てなかったのかよ。。。
食事の間も陣痛は続き、なに食べたのかよく覚えていない。
おまけに、食後は「子宮口開いてないから、歩いて」と指示される。
連続陣痛の中、「廊下をあちこち触らずに歩け」ってどうよ!
しばらく努力はしてみたが、どうにもこうにもつらくて無理。。。
夜勤帯に交代したのか、別の助産婦さんが「内診してみましょうか」と声をかけてくれる。
しかし、子宮口4横指。。。
「これだけ陣痛きてるから、分娩台に乗りましょうか」
浣腸で排便後分娩室へ。
陣痛監視計をつけると胎児は元気そうだったが、おなかはカチカチ。。。
何度か娩出を試みたが、そのたびに胎児心音が乱れる。。。2時間ほどがんばったけど
「子宮口が開きませんね~、赤ちゃん、疲れてしまうから先生呼んできます」
吸引分娩になった。
学生時代からよく知っているM先生がやってきて、
吸引カップを出したときは「やった、早く出してよ~」っと正直思った。
「ちょっと、つらいかも知れないけど、おなか押すからあわせていきんでね」
会陰部を切開する音がして、胎児の頭に吸引カップが装着されて
「いきんで!」
多分、娩出のとき、悲鳴をあげたと。。。
22時53分 女児娩出。
娩出すると今までの痛みは嘘のように消えうせた。
あぁ。。。子供を産むってこんなに大変なんだな。。。。
産まれてすぐシートにくるまれて私の胸元に来た赤ん坊は
重くてあったかかった。
(お前か、今まで痛かった原因は)
ちっちゃなこのあったかい生き物は、この日から我が家の娘となった。
私の最初で最後の出産になってしまったが、
娘が3歳くらいの頃
「わたしはおそらからみてて、おかあさんがいいなっておもって
おかあさんのおなかにきたんだよ。。。」といっていた。
だとしたら、神様がたった一人、私に授けてくれた子供だったのだろう。
あれから21年。
片手でだっこできたちびすけは
ずいぶん大人になってしまいました。
うれしいやら、さびしいやら。
こうちゃん、お誕生日おめでとう。。。
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20:26
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2011年09月18日
神様のカルテ
一年半ぶりに映画を観ました。
原作本はあまり文章が好きな感じではなかったので
読みませんでしたが、
映画は観てみたかった。
暖かい映画でした。
医療職でよかったなと思いました。
たくさんの人生に関わることができるこの仕事に
導いてくれたものと
その時々に、物事に、悩み葛藤する自分に
育ててくれたたくさんのものに感謝します。
原作本はあまり文章が好きな感じではなかったので
読みませんでしたが、
映画は観てみたかった。
暖かい映画でした。
医療職でよかったなと思いました。
たくさんの人生に関わることができるこの仕事に
導いてくれたものと
その時々に、物事に、悩み葛藤する自分に
育ててくれたたくさんのものに感謝します。
Posted by リリィ at
18:42
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2011年09月12日
ドキュメント
石巻市立病院の被災時のドキュメントが深夜放送されていました。
あの中に友がいたのだと思い、涙がでました。
神戸の震災の時は、電気だけは当日の夕方一部復旧しましたし
在庫の食材でわずかながら患者さんにも職員にも
食糧が分け与えられました。
押し寄せる被災者、外傷患者、遺体の搬送はひっきりなしでしたが
徒歩やバイクで情報を集めて、なんとか凌ぐうちに
支援物資が届き
寒さに震え、絶望感に苛まれることはなかったと記憶しています。
だれにも、窮状を伝えることができないなんてことは
なかった。
重機や自衛隊がもっと早く入ったら助かる命もあったかもしれませんが
遺体は必ず被災した場所にいてくれました。
いまさらながら、大規模な津波とはすさまじい災害だったのだなと思いました。
電話では笑いながら話してくれた友ですが、
震災直後にくれたメールに『死ぬ思いだった』とありました。
本当に、たいへんだったね。
無事でいてくれてありがとう。
あの中に友がいたのだと思い、涙がでました。
神戸の震災の時は、電気だけは当日の夕方一部復旧しましたし
在庫の食材でわずかながら患者さんにも職員にも
食糧が分け与えられました。
押し寄せる被災者、外傷患者、遺体の搬送はひっきりなしでしたが
徒歩やバイクで情報を集めて、なんとか凌ぐうちに
支援物資が届き
寒さに震え、絶望感に苛まれることはなかったと記憶しています。
だれにも、窮状を伝えることができないなんてことは
なかった。
重機や自衛隊がもっと早く入ったら助かる命もあったかもしれませんが
遺体は必ず被災した場所にいてくれました。
いまさらながら、大規模な津波とはすさまじい災害だったのだなと思いました。
電話では笑いながら話してくれた友ですが、
震災直後にくれたメールに『死ぬ思いだった』とありました。
本当に、たいへんだったね。
無事でいてくれてありがとう。
Posted by リリィ at
18:33
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2011年09月08日
2011年09月03日
一年
元カレと連絡が取れて、メールのやり取りが始まって一年。
22の時に引き戻されたような思いで続いてきた。
あのころは、職場の呼び出しもポケベルで
今のように個人同士が時間を問わず連絡をとりあうツールはなかった。
学生寮を出てからは実家だったし、電話で極度に緊張する彼は
ほとんど家に電話してくれたことはなく。。。
もちろん、私はすでに社会人で、彼は大学生だったから
お互いの『都合』を気にして頻繁に連絡を取ることもなかった。
会った時に次の約束をして、待ち合わせに遅れそうでも連絡できず、
息を切らして走って行って『ごめんね』
たいてい、遅刻するのは私のほうだった。
『そんなこと、あったね〜。』なんて、遠い思い出話をしながら
そういえば、一度も好きだとか付き合ってとか言われたことはなかったな。
メールでツッコミいれてみたが、
『なんとも思ってない子を、結婚してからも思い出したりはしないだろ』
『今だって言葉にできないんだから、あのころなんか無理に決まってる』
シャイでしたな、お互いに。
月に800通だったメールは、彼の仕事が忙しくなるにしたがって600通程度になった。
女友達には、『おかしいだろ、よその旦那だろっ』と呆れられる。
確かに。。。おかしいか。。。な。
あのころ、今のように携帯みたいなツールがあって
今のように言葉を交わせたら、私たちは違っていただろうか。
そんなことを思ったりする。
『連絡ついてから一年たったね、メールありがとね』
ってメールしたら
『おいおい、明日あたり死ぬんじゃないだろうな(-.-;)』
違うよ。ただ、うれしいから。
ノスタルジーは少しだけ私を少女に戻す。
22の時に引き戻されたような思いで続いてきた。
あのころは、職場の呼び出しもポケベルで
今のように個人同士が時間を問わず連絡をとりあうツールはなかった。
学生寮を出てからは実家だったし、電話で極度に緊張する彼は
ほとんど家に電話してくれたことはなく。。。
もちろん、私はすでに社会人で、彼は大学生だったから
お互いの『都合』を気にして頻繁に連絡を取ることもなかった。
会った時に次の約束をして、待ち合わせに遅れそうでも連絡できず、
息を切らして走って行って『ごめんね』
たいてい、遅刻するのは私のほうだった。
『そんなこと、あったね〜。』なんて、遠い思い出話をしながら
そういえば、一度も好きだとか付き合ってとか言われたことはなかったな。
メールでツッコミいれてみたが、
『なんとも思ってない子を、結婚してからも思い出したりはしないだろ』
『今だって言葉にできないんだから、あのころなんか無理に決まってる』
シャイでしたな、お互いに。
月に800通だったメールは、彼の仕事が忙しくなるにしたがって600通程度になった。
女友達には、『おかしいだろ、よその旦那だろっ』と呆れられる。
確かに。。。おかしいか。。。な。
あのころ、今のように携帯みたいなツールがあって
今のように言葉を交わせたら、私たちは違っていただろうか。
そんなことを思ったりする。
『連絡ついてから一年たったね、メールありがとね』
ってメールしたら
『おいおい、明日あたり死ぬんじゃないだろうな(-.-;)』
違うよ。ただ、うれしいから。
ノスタルジーは少しだけ私を少女に戻す。
Posted by リリィ at
22:34
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2011年09月03日
右肩が痛い
6〜7年前にもこんなことあった。
違和感から痛みに変わって、一年近く痛みが続いた。
俗にいう『四十肩』なのかな。
台風で気圧が低いからか、膝も痛いし、今日は右肩が重く痛い。
前は病院にも行かずに放置したけど、今回は診てもらおうかな。
車のハンドルきるのにいたいのが厄介だ。
う〜。
痛み止めあったかなぁ。。。
違和感から痛みに変わって、一年近く痛みが続いた。
俗にいう『四十肩』なのかな。
台風で気圧が低いからか、膝も痛いし、今日は右肩が重く痛い。
前は病院にも行かずに放置したけど、今回は診てもらおうかな。
車のハンドルきるのにいたいのが厄介だ。
う〜。
痛み止めあったかなぁ。。。
Posted by リリィ at
13:02
│Comments(0)
2011年09月03日
買ってしまった
『BeeTV』で毎週みていた『サプリ』の単行本、
ネットで中古品だけどでていたから買ってしまった。
話はもう9巻に突入していて、もうすぐラストなんだけど
もう、気になってしかたなくて。。。
でも、あ。そうかぁ。。。よかった〜。みたいな終わりかたで。
なにより、主人公のミナミの人格が好きだなぁ。
私は彼女みたいにデキル女ではないし、だいぶヘナチョコだけど
仕事への思いとか、迷いとか、別れ方とか
なんか、共感する。
自分で選んだからそれを信じるってほど、頑固でも強靭でもないけど
たくさんの先輩や友人や知り合えた人々に、少なからず成長させてもらって
私のプライドとかポリシーとかができあがってきた気がする。
まだぷよぷよだけど。
こういう、いい恋愛もなかったし、結婚もなんか流れに流された感じで、
なんだか消化不良みたいだけど
これはこれでよかったのよね。
ほかの人生は経験できないんだもの。
台風接近中の雨の中、届けてくれた宅急便のお兄さんにも感謝です。
そうかぁ。。。
番外編も買わなくちゃ〜。
ネットで中古品だけどでていたから買ってしまった。
話はもう9巻に突入していて、もうすぐラストなんだけど
もう、気になってしかたなくて。。。
でも、あ。そうかぁ。。。よかった〜。みたいな終わりかたで。
なにより、主人公のミナミの人格が好きだなぁ。
私は彼女みたいにデキル女ではないし、だいぶヘナチョコだけど
仕事への思いとか、迷いとか、別れ方とか
なんか、共感する。
自分で選んだからそれを信じるってほど、頑固でも強靭でもないけど
たくさんの先輩や友人や知り合えた人々に、少なからず成長させてもらって
私のプライドとかポリシーとかができあがってきた気がする。
まだぷよぷよだけど。
こういう、いい恋愛もなかったし、結婚もなんか流れに流された感じで、
なんだか消化不良みたいだけど
これはこれでよかったのよね。
ほかの人生は経験できないんだもの。
台風接近中の雨の中、届けてくれた宅急便のお兄さんにも感謝です。
そうかぁ。。。
番外編も買わなくちゃ〜。
Posted by リリィ at
10:59
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2011年09月01日
また、み~っけた。
軽井沢のたらちゃんが、mixiとかフェイスブックとか誘ってくれるので、
いまどきの若者?みたいに登録して知り合いを探すのだが、
ど~も、こ~も、懐かしい同級生にはあまり当たらず。。。
「友人」はもっぱらたらちゃんと兄の家族だけという。。。。そんな感じで。
だてブログでも、なつかしい知り合いにはあたらない。
フェイスブックに登録したとき、「元彼なんかさがすなよ~」とたらちゃんにいわれたが、
数少ない知り合いを探してみた。
しかし。。。なかった。
なんだよ。つまんないな~。
でも、もしかしてこんな検索したら。。。なんてちょいちょい検索かけてみたら
見つかるもんだね~。
学生時代よくダンスパーティーで踊ってくれた医学部のNくん。
眼科医になるといっていた。
下の名前が思い出せず、なんだっけな~、なんて考えながら検索していたら
仙台市内の某総合病院のドクターにその名前を発見!
そうだ~、この名前だ~!
私が退職した二年後だが、某R病院にも勤務されていた。
あのOP室で手術していたのか。。。
なんだよ、もっと早くきてくれたら一緒に仕事できたのにさ~。
四半世紀前の学生時代が思い出されて、一人にへにへしてしまいました。
いまどきの若者?みたいに登録して知り合いを探すのだが、
ど~も、こ~も、懐かしい同級生にはあまり当たらず。。。
「友人」はもっぱらたらちゃんと兄の家族だけという。。。。そんな感じで。
だてブログでも、なつかしい知り合いにはあたらない。
フェイスブックに登録したとき、「元彼なんかさがすなよ~」とたらちゃんにいわれたが、
数少ない知り合いを探してみた。
しかし。。。なかった。
なんだよ。つまんないな~。
でも、もしかしてこんな検索したら。。。なんてちょいちょい検索かけてみたら
見つかるもんだね~。
学生時代よくダンスパーティーで踊ってくれた医学部のNくん。
眼科医になるといっていた。
下の名前が思い出せず、なんだっけな~、なんて考えながら検索していたら
仙台市内の某総合病院のドクターにその名前を発見!
そうだ~、この名前だ~!
私が退職した二年後だが、某R病院にも勤務されていた。
あのOP室で手術していたのか。。。
なんだよ、もっと早くきてくれたら一緒に仕事できたのにさ~。
四半世紀前の学生時代が思い出されて、一人にへにへしてしまいました。
Posted by リリィ at
14:42
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