2008年01月23日
疲労骨折しました。
お正月あけからの治りの悪い風邪に悩まされて、ここ10日ほど激しい咳き込みで夜も寝られない日が続いていました。
あまりの咳き込みにみぞおちが激痛!に襲われ、右の胸部まで波及。。。
こりゃまずいとやっと受診しました。
肺はきれいでしたが、咳のしすぎで肋骨骨折していました。
市販のア○○ン2本飲みきっても咳は止まらず、耐えていましたがはやく病院で診断・処方をうけるべきでした。
反省。。。(;_;)
笑っても振り返っても服を着るのも痛いじょ〜(T_T)。。。
あまりの咳き込みにみぞおちが激痛!に襲われ、右の胸部まで波及。。。
こりゃまずいとやっと受診しました。
肺はきれいでしたが、咳のしすぎで肋骨骨折していました。
市販のア○○ン2本飲みきっても咳は止まらず、耐えていましたがはやく病院で診断・処方をうけるべきでした。
反省。。。(;_;)
笑っても振り返っても服を着るのも痛いじょ〜(T_T)。。。
Posted by リリィ at
23:57
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2008年01月20日
くぅちゃん
明後日は、母の命日です。
一足先に同じ病気でなくなった父をささえ、転移性の肝ガンと肝硬変で黄疸に腹水をためながら、
年末には正月の支度を心配し、孫達のお年玉を心配し、看護する嫁や娘を心配し、
毎日訪問する先生や看護師さんに感謝し、肝性脳症になりながら、時には文句も言いながら、意識がなくなった最後のたった10日間に誕生日まで迎え、担当の先生にお祝いのお花ももらって、家族みんながいる日曜日のお昼頃、静かに息を止めた母。
父の胃ガンがわかったとき、若いときに一度胃ガンをしていたので「ついにきたか」と、さして驚きもしなかった私ですが、
その3ヶ月後に母の胃ガンを知らされたときは、大変驚きました。
そして、数ヶ月して不思議な夢を見ました。
見知らぬ小さな女の子が、しゃがんで後ろ姿で私につぶやくのです。
「もういいでしょ、お父ちゃんとお母ちゃん、私に返して。。。」
それは私が生まれる1年前、3才で急死した姉だったように思うのです。
姉のくぅちゃんは、父そっくりで素直なかわいらしい女の子だったそうですが、もうすぐ4才になるという初夏、突然一晩で死んでしまったという話を聞かされていました。
「ぽんぽん痛い~」そういって。
我が家には、私が生まれたときから小さな仏壇があり、近くに住む叔父や叔母もよく墓参りをしてくれていました。
一日の始まりは、くぅちゃんの仏前にご飯をあげ手を合わすことから始まり、くぅちゃんにあげたご飯は天日で干して油で揚げてお砂糖を絡め私のおやつになりました。
存在する私より、大切にされるくぅちゃん。
家族で私だけが知らないくぅちゃん。
悪い子だと、両親に嫌われてしまう。。。
さして賢くもない幼い私は、両親の愛情を確かめるためよく病気になりました。
病気になりたい。。。そう思うと本当に熱が出て嘔吐し食欲をなくしました。
怒られたり、不安になると決まって熱をだし激しく嘔吐し両親を心配させていました。
病気で娘を亡くしている父と母ですから、体調が悪いとふだんの厳しさとはうって代わって、とても優しかった。
でも、体調が悪い私がいても、父も母もくぅちゃんを大事にするのにはかわらず、母は決まって仏壇に向かって「早く治してあげてね」と拝むのです。
私なりに、「一番愛して欲しい」をあきらめたのは小学校の高学年、思春期になってからでしょうか。
自我の芽生えと共に、私の中で存在を薄くしていったくぅちゃん。。。
そのくぅちゃんが、一度に父と母を連れていった。。。両親が相次いで亡くなったとき本当にそう思いました。
そうか、くぅちゃん、30何年、待ってたんだ。
くぅちゃんは、お雛様も買ってもらえなかった。幼稚園にも行かなかった。小学校にも行かなかった。ランドセルの重さも知らない。遊園地も遠足も家族旅行も。。。
死んだ子のいる家庭にまたすぐ子供が授かるというのは、死んだ子供が両親を心配して身代わりの命をよこすのだと聞いたことがあります。
私が生まれたとき、「女の子」と聞いて大喜びしたという母。
「くぅちゃんが帰ってきた。。。」
若かった母はそう思ったことでしょう。
でも、色白でまっすぐな髪でおとなしかったくぅちゃんとは違い、おてんばで色黒でくせっ毛で落ちお着きのない末っ子に手を焼きながら、くぅちゃんとは過ごせなかった日々をうめていった母。。。
私に娘が生まれたとき、「あんまり賢いと神様に気に入られて早く連れて行かれる。少しくらいぬけてる方がいい。」と
おおらかに育てるようにいってくれた母。
亡くなる前、「死ぬのなんて怖くない。だって、あっちにはお父ちゃんとベル(数年前に死んだ愛犬)と、くぅちゃんもいるから」
と笑った母。。。
今頃天国で、くうぅちゃんとの日々をやっとうめているのだろうかと。。。
くぅちゃん、お父ちゃんとお母ちゃん、よろしくね。
そのうち、私がいっても邪魔にしないでね。
一足先に同じ病気でなくなった父をささえ、転移性の肝ガンと肝硬変で黄疸に腹水をためながら、
年末には正月の支度を心配し、孫達のお年玉を心配し、看護する嫁や娘を心配し、
毎日訪問する先生や看護師さんに感謝し、肝性脳症になりながら、時には文句も言いながら、意識がなくなった最後のたった10日間に誕生日まで迎え、担当の先生にお祝いのお花ももらって、家族みんながいる日曜日のお昼頃、静かに息を止めた母。
父の胃ガンがわかったとき、若いときに一度胃ガンをしていたので「ついにきたか」と、さして驚きもしなかった私ですが、
その3ヶ月後に母の胃ガンを知らされたときは、大変驚きました。
そして、数ヶ月して不思議な夢を見ました。
見知らぬ小さな女の子が、しゃがんで後ろ姿で私につぶやくのです。
「もういいでしょ、お父ちゃんとお母ちゃん、私に返して。。。」
それは私が生まれる1年前、3才で急死した姉だったように思うのです。
姉のくぅちゃんは、父そっくりで素直なかわいらしい女の子だったそうですが、もうすぐ4才になるという初夏、突然一晩で死んでしまったという話を聞かされていました。
「ぽんぽん痛い~」そういって。
我が家には、私が生まれたときから小さな仏壇があり、近くに住む叔父や叔母もよく墓参りをしてくれていました。
一日の始まりは、くぅちゃんの仏前にご飯をあげ手を合わすことから始まり、くぅちゃんにあげたご飯は天日で干して油で揚げてお砂糖を絡め私のおやつになりました。
存在する私より、大切にされるくぅちゃん。
家族で私だけが知らないくぅちゃん。
悪い子だと、両親に嫌われてしまう。。。
さして賢くもない幼い私は、両親の愛情を確かめるためよく病気になりました。
病気になりたい。。。そう思うと本当に熱が出て嘔吐し食欲をなくしました。
怒られたり、不安になると決まって熱をだし激しく嘔吐し両親を心配させていました。
病気で娘を亡くしている父と母ですから、体調が悪いとふだんの厳しさとはうって代わって、とても優しかった。
でも、体調が悪い私がいても、父も母もくぅちゃんを大事にするのにはかわらず、母は決まって仏壇に向かって「早く治してあげてね」と拝むのです。
私なりに、「一番愛して欲しい」をあきらめたのは小学校の高学年、思春期になってからでしょうか。
自我の芽生えと共に、私の中で存在を薄くしていったくぅちゃん。。。
そのくぅちゃんが、一度に父と母を連れていった。。。両親が相次いで亡くなったとき本当にそう思いました。
そうか、くぅちゃん、30何年、待ってたんだ。
くぅちゃんは、お雛様も買ってもらえなかった。幼稚園にも行かなかった。小学校にも行かなかった。ランドセルの重さも知らない。遊園地も遠足も家族旅行も。。。
死んだ子のいる家庭にまたすぐ子供が授かるというのは、死んだ子供が両親を心配して身代わりの命をよこすのだと聞いたことがあります。
私が生まれたとき、「女の子」と聞いて大喜びしたという母。
「くぅちゃんが帰ってきた。。。」
若かった母はそう思ったことでしょう。
でも、色白でまっすぐな髪でおとなしかったくぅちゃんとは違い、おてんばで色黒でくせっ毛で落ちお着きのない末っ子に手を焼きながら、くぅちゃんとは過ごせなかった日々をうめていった母。。。
私に娘が生まれたとき、「あんまり賢いと神様に気に入られて早く連れて行かれる。少しくらいぬけてる方がいい。」と
おおらかに育てるようにいってくれた母。
亡くなる前、「死ぬのなんて怖くない。だって、あっちにはお父ちゃんとベル(数年前に死んだ愛犬)と、くぅちゃんもいるから」
と笑った母。。。
今頃天国で、くうぅちゃんとの日々をやっとうめているのだろうかと。。。
くぅちゃん、お父ちゃんとお母ちゃん、よろしくね。
そのうち、私がいっても邪魔にしないでね。
Posted by リリィ at
23:21
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2008年01月17日
1月17日という日
今日は、神戸の震災があった日です。
あの日も、今日のようにとても寒かった。。。
あの日、神戸市の東灘区に住んでいた私は「ゴ〜〜〜〜。。。。」という地鳴りに目を覚ましました。
ほんの15分ほど前に娘が(当時4才)おしっこにおきて、床に入ってばかり。
あれ、なんの音だろうと目覚めた瞬間、建物ごとクラッシュしたように突き上げるような揺れに襲われました。
その揺れの大きさに、布団の中で固まってしまいました。
背中側で寝ていた娘が私の背中にしがみついたと思ったとき、そばのタンスが倒れ家族で下敷きになりました。
幸い、主人が一番はしに寝ていてちょうど大・中・小と並んで寝ていたせいで私と娘は直撃を避けられ、向かい合わせにしていた小ダンスが先に倒れてくれていたのでそれが大きなタンスの重みを軽減してくれていました。
先に出た主人がタンスを持ち上げ、娘をだし、私も這い出ました。
「わぁ〜。。。なにがおきたんだろう。。。」
ガス臭い部屋。散らばる家財道具。元のようにたっていたのは食卓と冷蔵庫だけ。 呆然としながらも、実家の仙台に電話をかけました。
「お母ちゃん!いま、すっごい地震あってね、テレビつけて、震度いくら?」
寝ぼけ声で母が
「神戸で地震あったの?震度出てない。神戸だけ。。。」
「とにかく、私ら、みんな無事だから。うちの中はすごい状態だけど、とにかく無事だから。電話つながらなくなると思うから、和歌山から連絡いったら、そう伝えといて」
それだけいって電話を切りました。
西に方に火の手が見えた。救急車のサイレンや消防車のサイレンが遠くで聞こえたが、自宅のあった御影の山手は気味が悪いくらい静かでした。
スズメもカラスの声も聞こえない。なにもかも音を失ったかのようでした。
明るくなって、その全貌がわかり始めるには2〜3時間かかりました。
あの火の手の中で生きたまま焼死した方が多くいた。
倒壊した建物の中でわずかな空間に命をつないだ人もあれば、手が届くところに我が子の足が触れるのにどうにもできないまま救助されるまで冷たくなっていく我が子に「ぞうさん」を歌い続けたお父さんもいた。
今も、その苦しみの中で生き続ける多くの人々がいます。
かくいう私も看護師として震災の最中に存在したので、その悲惨さ、無念さを目の当たりにしてきました。
つい、一昨年まで一月になると当時の夢を見たものです。
患者さんが押し寄せるのに、なにもない、水も出ない、暗い、亡くなっていく人を見ているしかできない、そんな夢。
でも、なぜか10年を過ぎてその夢は見なくなりました。
この日を、ただ悲しみや苦しみを思い出すだけの日にしてはいけないのだと思うようになったのです。
あの災害から、なにを学ぶのか。
どんな備えが必要なのか。
それこそが人の英知というものでしょう。
今年、災害復興学会が立ち上がったと聞きました。
ずいぶん時間がかかったものだとは思うが、たくさんの英知やデーターがが集積されるのに時間を要したの
でしょう。
私は昭和53年の宮城県沖地震にも遭遇しています。
宮城のみなさん、大震災は、明日の朝、仙台でおきるかもしれない。ここ和歌山でおきるかもしれない。。。。
タンスのそばに寝てはいませんか?
本棚やテレビは倒れないようになっていますか?
家族の連絡先は? 携帯、つながらなくなるんですよ。
水は、非常食は備蓄していますか?
なにより、今お住まいの家屋、大丈夫ですか?
この機会に考えてください。
愛する家族と大切な人たちのために。
お願い。。。
Posted by リリィ at
23:43
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2008年01月14日
風邪、治りません
正月明けから、咳と頭痛、動悸に悩まされています。少し気分がいいかと思えば、またぶり返す。 そして熱は一切でない。 毎年、一月の今頃はいつも寝込んでいます。 月末、試験なのに頭に入らん。 あれ、。。。(^o^; 風邪じゃなくて、勉強したくない病?
Posted by リリィ at
20:30
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2008年01月07日
1月7日
今日、テレビで平成元年から今年までの流行語とか出来事とか特集している番組をやっていた。
思えば、小渕さんの「新しい元号は”平成”であります」というニュースを私は勤務していた手術室の休憩室でみていた。
私は1月いっぱいで退職し、翌月には嫁ぐことになっていた。
その最後の救急当直の日、昭和が終わったのである。
「平成」という元号に、「え~、へんなの~。。。」と独り言をいいながら、遅い夕食をとっていた。
半分食べ終わった頃、電話が鳴った。
「はい、当直です」
「救急車はいります。心肺停止の男性です。」
事務当直からだった。
心肺停止か。。。
考えられるだけの準備をしながら、当直医の研修医に連絡して、ついでに一緒に当直してくれている外科の先生にもコールして急患室で待機した。
研修医の先生は3年目の女医さん。
「頼りにしてるわね。おねがいね~。」といささか自信なげだった。
救急車のサイレンが近づく。
到着、搬入、
患者さんは情報通り、心肺停止、心臓マッサージを受けながらの搬入だった。
1時間にも及ぶ救命処置を繰り返したが、患者さんは戻ってきてはくれなかった。
死亡確認。。。
昭和が終わって新しい時代になったとお酒を飲み、そのあとお風呂に入って大声で歌っていたのにそのまま静かになってしまった、見に行ったら湯船に沈んでいたのだと。。。奥様。。。
女手で引き上げたのだろう、あちこちに傷。。。
暖かい身体だった。
そのあと、いろいろあったのだけど、突然のことに呆然とする奥様に、私は充分関わってあげることもできず、ただ淡々と「作業を」してしまったことを今でも悔やんでいる。
お見送りをして、急患室を片づけていると当直の研修医の先生が手伝いに来てくれた。
「ありがとう、今日の当直、あなたでよかった。(看護婦を)やめないで続ければいいのに」
結婚したら、看護師はやめようと思っていた。
ただの奥さんになって、ただのお母さんになって、暮らそうと。。。
暗く、静かになった外来の廊下で、ふと立ち止まった。
「これは、仕事を辞めるなってことかな」
一人、つぶやいた。
あれから20年か。。。。。。。やめないで、よかった。。。。。のかな。
思えば、小渕さんの「新しい元号は”平成”であります」というニュースを私は勤務していた手術室の休憩室でみていた。
私は1月いっぱいで退職し、翌月には嫁ぐことになっていた。
その最後の救急当直の日、昭和が終わったのである。
「平成」という元号に、「え~、へんなの~。。。」と独り言をいいながら、遅い夕食をとっていた。
半分食べ終わった頃、電話が鳴った。
「はい、当直です」
「救急車はいります。心肺停止の男性です。」
事務当直からだった。
心肺停止か。。。
考えられるだけの準備をしながら、当直医の研修医に連絡して、ついでに一緒に当直してくれている外科の先生にもコールして急患室で待機した。
研修医の先生は3年目の女医さん。
「頼りにしてるわね。おねがいね~。」といささか自信なげだった。
救急車のサイレンが近づく。
到着、搬入、
患者さんは情報通り、心肺停止、心臓マッサージを受けながらの搬入だった。
1時間にも及ぶ救命処置を繰り返したが、患者さんは戻ってきてはくれなかった。
死亡確認。。。
昭和が終わって新しい時代になったとお酒を飲み、そのあとお風呂に入って大声で歌っていたのにそのまま静かになってしまった、見に行ったら湯船に沈んでいたのだと。。。奥様。。。
女手で引き上げたのだろう、あちこちに傷。。。
暖かい身体だった。
そのあと、いろいろあったのだけど、突然のことに呆然とする奥様に、私は充分関わってあげることもできず、ただ淡々と「作業を」してしまったことを今でも悔やんでいる。
お見送りをして、急患室を片づけていると当直の研修医の先生が手伝いに来てくれた。
「ありがとう、今日の当直、あなたでよかった。(看護婦を)やめないで続ければいいのに」
結婚したら、看護師はやめようと思っていた。
ただの奥さんになって、ただのお母さんになって、暮らそうと。。。
暗く、静かになった外来の廊下で、ふと立ち止まった。
「これは、仕事を辞めるなってことかな」
一人、つぶやいた。
あれから20年か。。。。。。。やめないで、よかった。。。。。のかな。
Posted by リリィ at
23:06
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2008年01月06日
明日から仕事~
なが~い正月休みも終わります。
この土日はあれもこれもと家事をするつもりだったのに、昨日の朝から咽頭痛と発熱。。。
昨日は一日寝込んでしまい、今日も体調いまいちです。
市販の風邪薬って、ちょっとのどが渇くしふらつきますが、それなりに効果があるので何とかこれで乗り切ろうと。。。
29日には大学の単位試験も迫ってます。
さっぱりやっていないので、そのストレスも手伝っているのかも。
だけど、追いつめられるストレスって嫌いじゃない。。。っておかしいんかな。
頑張れ、自分!!!!
この土日はあれもこれもと家事をするつもりだったのに、昨日の朝から咽頭痛と発熱。。。
昨日は一日寝込んでしまい、今日も体調いまいちです。
市販の風邪薬って、ちょっとのどが渇くしふらつきますが、それなりに効果があるので何とかこれで乗り切ろうと。。。
29日には大学の単位試験も迫ってます。
さっぱりやっていないので、そのストレスも手伝っているのかも。
だけど、追いつめられるストレスって嫌いじゃない。。。っておかしいんかな。
頑張れ、自分!!!!
Posted by リリィ at
22:46
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2008年01月04日
お雑煮
これは、和歌山の主人の家の雑煮です。
かつおだしに白味噌のおつゆ、「まな」という小松菜に似た青菜をゆでてのせ、鰹節をかけます。
ホントは、おもちも丸餅ではなくうるち米の入ったおもちらしいんですが、最近作っているところがなく手に入らないので、丸餅で代用しています。
和歌山市内でも、地域によって「まな」をいれずに丸く切った大根と人参(紅い金時人参)を入れるところ、鰹節だけのところ、アオノリを入れるところ、と、いろいろです。
こんなに狭い地域なのに家々によって多彩なのは何ででしょうね。
おもちが白い丸餅ではなく、餡の入ったおもちを入れるお宅もあるそうで。。。これは四国の方の習慣みたいです。
仙台って、本当は焼きハゼでだしをとった醤油の澄ましに「いくら」をのせるのだと、大人になってから知りました。
だって私の実家は、福島の浜通り出身の母の作ったお雑煮だったから。
鶏とカツオだしで大根・人参・しみ豆腐・蒲鉾・せりが具でした。
母の作る雑煮はとても塩辛く、醤油の色が濃いので白い蒲鉾がちょっと茶色くなっていたものです。
結婚して初めてのお正月、白味噌の雑煮の作り方を知らなかったので実家の母の雑煮を作ったのですが、主人には不評でした。
反対に、仙台で関西雑煮を作ってみたらこれまた家族には不評で。。。
小さい頃から食べてきた味が、やっぱりその人の「お正月の味」なんですね。
で、我が家は元旦は白味噌、2日は実家のしょうゆ味の雑煮と二種類作ります。
今年もそうしましたが、主人は2日とも白味噌が良いといって「うちの雑煮」を食べてくれませんでした。
かわいくないったら。
Posted by リリィ at
00:05
│Comments(2)
2008年01月01日
明けましておめでとうございます。
寒い、寒い新年ですね。
和歌山でも、大晦日に初雪がちらつきました。
年末、2回ほど記事を投稿をしたんですが、どういうわけか保存にも公開のも進めずに、
消えてしまったので、くじけて今日までさわりませんでした。
問い合わせに、ログインの時間が長いと自然にログアウトする設定なんだとのお返事でしたが、
長時間って、いったい「何分」なの。。。
自然にログアウトしたんじゃなくて、ログイン画面と行ったりきたりするだけで文章が消えちゃったんだけど。。。
うちのパソコンのせいなのかしら。。。わかりません。
とにかく、年も明けました。
寒いけど新年のお参りに近所の「岡の宮」さんへ行きました。
その昔、徳川吉宗が父君の厄年に生まれたってことで、厄年生まれの子は
いったん捨てて拾ってくるという習わしがあったそうです。
で、その拾い親になったのがここのお宮さんだったそうで、四男だった吉宗がみるみる出世して将軍になったことから
小さいお宮さんなんですが、出世や勝負の神様として有名なのだそうです。
事実、ここに祈願した市内の私立高校が今年サッカーで全国大会出場、一回戦逆転勝ちしたそうな。。。
愛犬を連れて、家族でお参りして、恒例の破魔矢を買い、おみくじを引きました。
娘は「中吉」 学問は甘えをなくせ、恋愛は思うだけではダメ。。。神さん、ようみてるわ。。。
私は「大吉」 学問は精進して結果が出る 望みは叶う。。 神さん、ありがとう!!!!!
今月は大学の試験もひかえているので(私のです)、ここまでさぼった分、必死で頑張らなくちゃ。
統計学。。。いやだなぁ。。。イヤなことはまず好きになれと書いてある本があったけど、好きになれない。。こまったな。
年末年始で大掃除やら新年の準備やらでとっても疲れているけれど、
お休みは明日あたりまでにして、活動開始しなくちゃ。
春には新しい職場で慣れない生活が待っているけど、私は出会いには自信がある。
これまでの人生で、出会いに失敗したことはない。
いい友とすばらしい恩師と先輩後輩みんな、私にたくさんのことを学ばせてくれて今も支えてくれている。
ちょっと頼りないが、ここまで仕事に打ち込ませてくれたよき伴侶もそばにいる。
たった一人しか授からなかったが、しっかり育った娘もいてくれる。
私が寂しきとき、悲しいとき、黙ってそばに身体を寄せてきてくれる愛犬もいる。
だからきっと、新しい環境にもよき出会いが待っていると確信している。
何気ない毎日に感謝しながら、今年もいつもの毎日が当たり前にやってきますように。
みなさんにも、幸多き一年でありますように。
和歌山でも、大晦日に初雪がちらつきました。
年末、2回ほど記事を投稿をしたんですが、どういうわけか保存にも公開のも進めずに、
消えてしまったので、くじけて今日までさわりませんでした。
問い合わせに、ログインの時間が長いと自然にログアウトする設定なんだとのお返事でしたが、
長時間って、いったい「何分」なの。。。
自然にログアウトしたんじゃなくて、ログイン画面と行ったりきたりするだけで文章が消えちゃったんだけど。。。
うちのパソコンのせいなのかしら。。。わかりません。
とにかく、年も明けました。
寒いけど新年のお参りに近所の「岡の宮」さんへ行きました。
その昔、徳川吉宗が父君の厄年に生まれたってことで、厄年生まれの子は
いったん捨てて拾ってくるという習わしがあったそうです。
で、その拾い親になったのがここのお宮さんだったそうで、四男だった吉宗がみるみる出世して将軍になったことから
小さいお宮さんなんですが、出世や勝負の神様として有名なのだそうです。
事実、ここに祈願した市内の私立高校が今年サッカーで全国大会出場、一回戦逆転勝ちしたそうな。。。
愛犬を連れて、家族でお参りして、恒例の破魔矢を買い、おみくじを引きました。
娘は「中吉」 学問は甘えをなくせ、恋愛は思うだけではダメ。。。神さん、ようみてるわ。。。
私は「大吉」 学問は精進して結果が出る 望みは叶う。。 神さん、ありがとう!!!!!
今月は大学の試験もひかえているので(私のです)、ここまでさぼった分、必死で頑張らなくちゃ。
統計学。。。いやだなぁ。。。イヤなことはまず好きになれと書いてある本があったけど、好きになれない。。こまったな。
年末年始で大掃除やら新年の準備やらでとっても疲れているけれど、
お休みは明日あたりまでにして、活動開始しなくちゃ。
春には新しい職場で慣れない生活が待っているけど、私は出会いには自信がある。
これまでの人生で、出会いに失敗したことはない。
いい友とすばらしい恩師と先輩後輩みんな、私にたくさんのことを学ばせてくれて今も支えてくれている。
ちょっと頼りないが、ここまで仕事に打ち込ませてくれたよき伴侶もそばにいる。
たった一人しか授からなかったが、しっかり育った娘もいてくれる。
私が寂しきとき、悲しいとき、黙ってそばに身体を寄せてきてくれる愛犬もいる。
だからきっと、新しい環境にもよき出会いが待っていると確信している。
何気ない毎日に感謝しながら、今年もいつもの毎日が当たり前にやってきますように。
みなさんにも、幸多き一年でありますように。
Posted by リリィ at
22:11
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