仙台で生まれて25年間すごして、ひょんなことから関西の人に嫁ぎました。 和歌山在住。 家族は主人と京都に暮らす大学生の娘、13才でお星さまになったコーギー犬リリィです。

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2011年05月31日

爪切り

一般病棟からリハビリ病棟に転室してくる患者さまのほとんどが

爪が伸びている。

『一般は忙しいから手が回らないんだろう』

って、スタッフは好意的に言っているが、本当だろうか?

私はかなり長い間、急性期病棟で過ごしていた。

時間外勤務は現在の職場の比ではない。

そんなところでも、みんな患者さまの爪や体の汚れには気を配っていた。

『プライド』だった。

どんなにヘトヘトでも、提供する看護の質は落とすまい。。。

しかし、ここは言い訳をするんだなと。。。

忙しいから、

若い子ばかりで気が利かなくて、

そんなひまない、

爪を切って、訴えられてもつまんない、

家族にしてもらうのが当然、

などなど。。。


病院機能評価機構からは認定されたが、質の低いところで喜んでいないか?


膨張した古い体制からぬけられない個人病院は以外と多い。

そんなとこで、地道に爪切りをしていたら、最近は他のスタッフが気にするようになってきた。

小さいことからコツコツと?


時間はかかるけど、よいことは認められると信じて。

今日は休みで、ふと、自分の足の爪をみたらかなり伸びていた。


自分のケアもしなきゃ〜。
  


Posted by リリィ at 16:30Comments(0)

2011年05月30日

台風

台風が、熱帯低気圧になりながら通り過ぎていった。

職場のナースステーションは2階なので、目の前に交差点の信号機が見える。

夜勤の昨日、窓の外を眺める度、

『あの信号機、明日の朝までもつかな。。。』と思うほど

強風で、がたがた揺れていた。

朝には無事持ちこたえた信号機があったが、

消火栓表示の看板は地面にあった。

いくら関西でも、台風銀座の和歌山でも

5月に台風は珍しい。

朝には外出予定だった患者さまの家族さんから電話。。。

『近所で土砂崩れあって、道が通行できないので今日は行けないと伝えてください』

えー。

土砂崩れって。。。

風がやんでも空は鉛色で、紀の川は増水のままゴウゴウと流れていた。

明日は青空がのぞくかな。
  


Posted by リリィ at 23:02Comments(0)

2011年05月26日

雨降り

南から台風につつかれた前線が北上。。。

夜勤明けでヘロヘロと眠った昨日は晴天だったのに、
休みの今日はお昼から雨。

なんか損した気分だけど

そういえば目のかゆみもなくなった。

花粉の季節も黄砂の季節も過ぎたかな。

そろそろ梅雨か。。。

誕生日まであと三週間。
  


Posted by リリィ at 16:39Comments(2)

2011年05月24日

同窓生

友達に誘われてmixiに登録。

同級生を探すべく、卒業した学校を登録してた。

中学の同期生から一人メールがあった以降、見つからずにいた。

先日、足跡にあった一人が卒業した専門学校の在学生であることが判明。

今年入学の一年生。

我が子より二つ年下の子にメッセージを送ってみた。
短いけど、返してくれた。

彼女が暮らす学生寮は、私が二年生の時に完成した寮。

あれから四半世紀がたっている。

学校のホームページをみれば、寮の部屋や作法室の写真がのっていて懐かしい。

私たちの頃は全寮制で、一年生の時には創立のころからの旧寮に入った。

古くて暗い廊下と二段ベッドと座卓の机だけがプライベート空間だった。

先輩はよくしてくれたが、なんだかいつも緊張して暮らしていたのを思い出す。

集団生活の規制の中で暮らすのは、わがままな私にはつらかった。


学校でも日常生活でも同じ学生同士がいつも顔を会わせる。


食事も、お風呂も、洗濯も、トイレも。

また、『舎監さん』と呼ばれる寮母さんがまた怖かった。

廊下を歩く音、トイレの使い方、トイレットペーパーの出し方まで

事細かく『しつけ』られた。

あのころは『うるさいおばさん』くらいにしか思わなかったが、

いま思えばみんなよい習慣で、他への気遣いがあふれた『しつけ』だった。


お菓子につられて茶道部に入って

男の子と知り合いたくてダンス部にも入った。

秋になると各大学や学生寮主催のダンスパーティーが開かれた。


回るとふんわり広がるスカートを選んで、慣れないパンプスをはいて出かけた。

男性が『踊ってくれますか?』と誘ってくれるのを壁にはりついて待っているのだが、

そこは若いからたいていあぶれることはなく、曲が変わる度に誘ってもらえた。

二年生のころからよく誘ってくれる医学部の人がいて
ダンスパーティー以外でもスケートや学祭に誘ってくれたけど

。。。それ止まりだったなぁ。。。

眼科医になると言っていた彼は、まだ仙台でドクターをしているのかしら。


ディスコ全盛期のころだったけど、ソーシャルダンスのほうが大人な感じで好きだった。

でも、男の子たちって、どうやってステップ覚えたのかしら。

私たちは男性役の先輩に組んでもらって覚えたけど、
男の子たちも?

『shall we dance』を観たとき、なんだかそんなこと思っておかしかった。


学生時代はつい昨日のことみたいなのに、

卒業してもう26年?か。。。


早いもんです。


今年入学の彼女は何回生になるんだろ。。。

計算しないでおこーっと。

福島の私の母のふるさとから仙台にきた彼女。

震災があったり、原発事故があったりしている今年ですが

どうか実りある三年間を過ごしてください。

そして、ぜひ、永くこの仕事を愛してください。


がんばって。
  


Posted by リリィ at 12:10Comments(0)

2011年05月22日

りんごの花

秋田の元彼から

りんごの花が咲いたとメールが届きました。

今年は豪雪でりんごの枝がたくさん折れて

雪解けしてからの作業は例年よりハードだったらしい。

天候不順で収穫量がいつもの半分だった昨年より

今年はさらに減るだろうとのこと。


どんなに雪で枝を折られても、季節になれば

花を付ける。

植物は、すごいね。





彼も、連日遅くまで会社の仕事をして、週末の休みも農作業に明け暮れる。

そんな生活を自然にしているのが『兼業農家』なのだろう。


『農家に育ってない子には、農家はできない。無理だよ。』

昔、まだつきあっているころ、よくいわれた。

公務員の父と専業主婦の母の家庭に育った私とは

『違うんだ、そういう普通の家庭に育った子にはわからない』

そうかもしれない。


『この週末はこんな作業をしてたんだ』

メールで送られてくる週末の様子。

家族と休暇を楽しむとか、自分の休日を楽しむとか

そういうことはほとんどなく、『農家』をやってきたのだなぁと

いまさらながら思う。


『丹精を込める』というが、送られてくる農園の写真には

彼と彼の奥様の、

文字どおり『丹精』が見えるようだ。


怠け者の私には、彼の嫁は無理だったな、きっと。


世の中、やっぱりうまくできてるのかもね。


秋にはまた、おいしいりんごができますように。  


Posted by リリィ at 21:23Comments(0)

2011年05月11日

地震

昨夜から小さいけど、紀の川断層震源の地震が連続

やっぱり日本列島が捻れてるの?

断層地震は地鳴りが聞こえてくるので『あれ?地震くるかな』と思うとぐらっとする。

ぐらっというか、ガタガタっていうか。

気持ち悪いけど、神戸の地震みたいにエネルギー溜め込まれるよりいいかな。  


Posted by リリィ at 11:22Comments(0)

2011年05月08日

疲れが

仙台から帰って四日。

日勤ひとつ、夜勤ひとつ(忙しくて仮眠なし)のあとの休み。

今日はゴールデンウイークの最終日で、和歌山はピーカンの夏日。

あっつい。。。

なのに、秋田の元彼のところはヒョウが降って寒い日らしい。

日本て広いのね。

映画館が併設のショッピングセンターのスタバでぼぉ〜っとしてみる。

カップル多いなぁ。。。



六連休のあとのたった三日の勤務でなんだかヘロヘロになってて、

昨日夜勤から帰ってからいったい何時間寝たかしら。。。


明日からまた学生実習が始まるから一週間日勤続き。
楽なようで、そうでもないんだこれが。


気合い入れてチャリンコでいくのもいいが。。。きっと朝にくじけるだろな。


相変わらずルームシェア状態の旦那は、今日も自分の予定と希望だけいってどっか行った。

連休前からひいている風邪はなおんないし、

なんか〜

だらっとしちゃうゴールデンウイーク最終日です。
  


Posted by リリィ at 17:19Comments(2)

2011年05月04日

関西へ帰ります

なんだか、ただゆっくりしにきたのかと言われそうな日々を過ごした。

両親の墓に参り、年老いた叔母にあいに行き、

旧友に会って語り合い、懐かしい仙台の街を歩いた。

仙台駅でおみやげも買って発送を頼んだ。


今日は午前中に、よく両親と行った山間の願掛け寺に参り

門前町で名物の揚げたての油揚げを食べて、イナゴの佃煮を買った。


高速を空港に向かう道すがら、東部道路の海側にはやっぱり瓦礫や車が散乱していた。


それでも、道と電柱だけの茶色い平野に、黙々と重機やトラックが動いていた。

この瓦礫が撤去され、緑の大地が蘇るまで

気が遠くなる思いだろうが必ずまた戻ってくれると信じている。


また来るね、仙台。  


Posted by リリィ at 15:32Comments(0)

2011年05月03日

温度差

到着ロビーには兄夫婦が迎えに来てくれていた。

兄たちも、地震から初めて空港方面に来たらしい。

空港まで行けるかどうかもわからなかった、と。

『だって、(復興の)邪魔になるから。。。』

東部道路を越えると、見慣れた風景に変わる。

『津波は東部道路で辛うじてせき止められたらしい。』

東部道路の西側はいつものバイパスの風景だった。

市街地に入ると、その痕跡はほとんどなかった。
広瀬川は穏やかに流れ、川にかかる橋もなにもなかったように渡れる。

『阪神の震災の教訓で耐震対策だけはされていたから、ビルの倒壊なんかはほとんどない。

津波さえなかったら、被害はほんとに少なかっただろうと思うよ。。。』


仙台市内でも沿岸部と山手ではまるでちがう被害状況のようだった。



石巻の友人は

『いまはまだ来ないほうがいいよ。もっと街がきれいになって、元にもどったら見に来て』

そういっていた。

物見遊山のつもりはないが、被災者はそれほどいま必死で暮らしているのだなと。

かつて神戸三ノ宮の駅前に『元気です。見に来るな!』と書いた大段幕がかけてあったという。

その気持ちは痛いほどわかる。


だから、今回石巻には行かないことにした。


仙台の繁華街には『負けない』『がんばろう』の文字があちこちに掲げられているが、

街は震災などなかったような賑わいで、若者たちが歩いている。


賑わいの中にいると、もしかして、あの光景はまぼろしかと思うほど。


しかし、確かに私に繋がる人の中にも津波の被害者がいて、この賑わいの中にもきっと重い十字架を背負った人がいる。


穏やかで豊かな自然は、時に『忘れるな』と牙をむく。


暖かな陽射しと上空から見た穏やかな海の白波。。。

新聞に今だ追加される亡くなられた方の名前。。。


その温度差のなかに、人々は暮らしているんだ。


暮らしているんだなぁ。。。
  


Posted by リリィ at 16:23Comments(4)

2011年05月03日

伊丹発仙台行き

7時15分発全日空仙台行きは、空席も目立つものの
家族連れやビジネスマンを乗せて動き出した。

滑走路にスタンバイしてすぐに加速して離陸

高度をあげると見慣れた大阪の街や六甲山が眼下に遠ざかる。

仙台便に乗るのはどのくらいぶりだろう。

父や母が臥せっていたころは毎月通った仙台。

両親が亡くなると故郷は遠くなる。

機内サービスもかなり縮小していたし、子供達に配るおもちゃも簡易なものに変わっていた。

昔なら早朝便はサンドイッチ位でたのになぁ。。。なんて思いながら

雲海を眺めた。

やがて福島上空差し掛かる頃、『着陸体勢に入りました』とアナウンス。

機体は太平洋上に旋回していく。

高度が下がり地上がはっきり見えるようになると、それまでざわついていた機内が

静まり返る。

テレビのニュース映像でいくらでも目にした風景だったが

今だ、手付かずにせざるをえない津波の『爪痕』

例年の今頃は田植えに忙しい時期。

水が張られた水田に幼い苗が整然と誇らしく並んでいる頃。

その水田も緑の松並木も光るビニールハウスも

なにもない。

あるのは廃墟になった家や契れたビニールハウスの痕跡、潰れた車の山、散乱する瓦礫。。。

乗客のだれもが、着陸までの数分間、ただ目を奪われていた。

到着ロビーに入ってもだれもなにも言葉を発しなかった。

こんな早朝の便に乗る人達だもの、なんらかのゆかりのある人達だろう。

震災直後の仙台空港が津波に襲われる映像を思い出す。

空港は思いの外、滑走路も綺麗だったが、滑走路外には瓦礫がのこり

ターミナルは大部分がべニヤ板に囲われていた。

民間機を就航させるために『なんとかこのくらいあれば。。。』と、関係者が努力されたのだろう。

ターミナルは負傷しながら立ち上がっているようにも見えた。


空港周辺は格納庫や倉庫とおぼしき建物のシャッターがゆがみ、

津波で流され破損した車が山積みになり

航空大学校の練習機やセスナ機が

まるでおもちゃの飛行機を落としたみたいに

溝や陥没した地面に突き刺さっていた。

空港周辺には食べ物やさんもレンタカーの営業所もあったし

車の一時預かりをする駐車場もあった。

みんな平屋だ。

そこにいた人達はどうなったんだろう。


高台などない平野で。。。

テレビで見ていたとはいえ、実際目にする風景は

その衝撃をこえていた。

それをリアルタイムで見つめた人々の衝撃を思った。


思えば、私も神戸の震災で、砕け、倒れ、焼かれた街を茫然と見ていた。

悪い夢の中にいるような、現実なのか夢なのか、

夢なら早く覚めてほしいと。。。


あんなことは、もう二度とおきないだろうと思っていたのに。



4月30日、傷だらけの故郷は妙に暖かく、道端にはタンポンが咲いていた。
  


Posted by リリィ at 13:30Comments(0)